民主党おかかえの漫才師

我が家の買い物担当は 私であり、岡田屋商店かもう1つのスーパーかどちらかで買い物をする。今が旬の竹の子などは近所のオバチャンのお店で買う。そのほうが安くて新鮮だから だ。慣れれば平気で買い物ができる。最近は魚屋で「そこのチヌを3枚おろしで。アラももらう」とか普通に注文する。実際、平均的主婦よりはるかに料理がう まい。だが美食倶楽部は別に主宰していない(笑)。

2週間ほど前、岡田屋商店で買い物をすませお店から出たところ寒風のなか「民主党は全 然だめだ」と一人の男が大声を上げた。私はおもわず、声の主を見た。すると、すぐに隣にいた同年輩の男が「しかし自民党はもっとだめだ」とさらに大きな声 を出した。二人はパチンコとか競馬場周辺でよく見る、少しだらしない感じの老人だった。

あれは一体、何だったんだろう?二人とも政治に関 心を持つような風体をしてなかった。大体、まだ寒いなか、わざわざス−パーの前のベンチでクダをまいてるのだから、きっと工作員だろうと思っていたら別の スーパーでも同じ二人組を見かけた。生活のあらゆるところに考えるネタと「ヒント」がある(笑)。

民主党おかかえの漫才師と言えば小沢一 郎が政治資金で「(お金をあずかった)知人はすでに死んでいる」と言った時はナイス・ジョークと思ったのだが、冗談ではなく本気の言い訳だった。マスゴミ の生ぬるい「追求」のため、こんな馬鹿げた「冗談」すらまかり通っているのは残念だが。

ところで鳩山にせよ小沢にせよ前川にせよ駱駝にせよ、冗談を言ったのを聞いたことがない。彼らの存在そのものが冗談のようなものなのだが。自民党の政治家も冗談がうまいとは言えないが、中にはユーモアのセンスを感じる人も居た。

何 がユーモアか何がおかしいかは人により違うので、あまり意味の無い議論だが、民主党議員にユーモアが感じられないのは自分たちを客観視できないからだと思 う。ユーモアの本質は一端、自分の主張や考えをすてて、できるだけ客観的に事象を観察し、異なる視点ないしは切り口で批判し揶揄することにあると思う。民 主党議員の方々は自分の主観を切り放すとか、あえて馬鹿を演じることができないようだ。それは人間的未熟さと欧米社会では解釈されるだろう。

昔、 同じコンゴ音楽ファンである英国人DJ、マーティン・シノックとメールを頻繁に交わしていた頃、彼が日本経済の不振を何度かからかった。そこで私が「我々は 現在、英国流ユーモアを分析しており、近い将来に新しい輸出品として世界に出す」と書いたところ、何故かマーティンに馬鹿受けした。その後、1ヶ月くらい メールをよこす度に「英国流ユーモア輸出計画は進んでいるか?」と書いていたのを思い出す。

これはキューバ人に「熱狂の日本製サルサを制作中」と告げるくらい英国人にはおかしなことらしかった。英国流ユーモアを輸出するという発想そのものが英国流ユーモアと感じたのかも知れない。

私はユーモアのわからない人は嫌いだ。それは性格が真面目か不真面目かという問題ではなく、自分を客観視できないことを意味するからだ。それは日本人の大きな欠点だと私は思う。