ジャズとボサノバの感性の違い

昔、タモリがラ ジオのDJをやった時にゲッツ・ジルベルトをかけ「いやあ、スタン・ゲッツのサックスがいい。これぞボサノバという感じが出てる」と言った。これはジャズ 演奏者かつジャズ・ファンであるタモリの意見としては妥当なのかも知れないがボサノバ・ファンは決してそう感じている訳ではない。

私も ゲッツ・ジルベルトにおいてせっかくギターのジョアン・ジルベルト、ピアノのアントニオ・カルロス・ジョビン、ドラムスのミルトン・バナナがいいグルーブ を作ってゾナ・スール(リオ南部の高級住宅街。イパネマ、レブロン、コパカバーナなど)の雰囲気を作りだしているのに、ゲッツのサックスが入ったとたんに 十三(じゅうそう、大阪の近郊風俗街)のキャバレーに変貌するのにあきれていたからだ。

この点で一番、辛辣な意見を述べたのはすでに何回 も名前を出しているサンバ評論家大島守さんだ。大島さんは「スタン・ゲッツのサックスを抜いたアルバムをVerveが出してくれるなら買いたいというボサ ノバ・ファンはたくさんいるだろう」とまで書いた。つまり大島さんは、せっかくの名盤をスタン・ゲッツのサックスが台無しにしていると主張された。これが ボサノバ・ファンの代表的意見ではないが大島さんと同じように感じるボサノバ・ファンがたくさんいるのも事実だ。

ところで大島さんは20 数年前に、ゲッツ・ジルベルトの録音秘話を書いていた。それはスタン・ゲッツのサックスに苛立ちを覚えたジョアン・ジルベルトが遂に切れてしまい、ポルト ガル語-英語の通訳もやっていたアントニオ・カルロス・ジョビンに「オマエの演奏は最低だとこの馬鹿に言ってくれ」とポルトガル語で言ったのだ。ところが ジョビンという人はなかなかの商売人だったらしく英語で「あー、彼はあなたのような偉大なミュージシャンと共演できるのは光栄だと言っている」と誤魔化し てスタン・ゲッツに伝えたのだ。

このエピソードはボサノバ・ファンの間では広く知られていたが、いくら何でも嘘だろうと思っていたら、た だの真実だったことが最近では知られるようになった。ちなみにスタン・ゲッツは「彼は違うことを言ってるようだね」と皮肉を返したというから結構、スタジ オ内で火花が飛び散る歴史的セッションだったのだ。

勘違いされないように言っておくが私はジャズも好きだ。ここで言ってるのはボサノビスタ(ボサノバ演奏者)には彼ら独自の美学があり、それはジャズの美学とは明らかに異なるという点だ。

こ のジョビンの意図的な誤訳が原因かどうかは不明だが、ジョビンとジョアンは不仲であるというエピソードも大島さんは紹介されていた。それはジョビンが自分 の曲をジョアン・ジルベルトが演奏した具体的な録音を挙げて「ヤツはこんなにおかしなコードでオレの曲を終わらせている」と主張したというものだ。残念な がら、こちらのジョアン・ジルベルト対アントニオ・カルロス・ジョビンの音楽対決エピソードは未だに解禁されてないようだ。

大島守さんは本当に良い、本音で物事を指摘できる音楽評論家だった。今の音楽評論家は「アレは名盤だ、コレは傑作だ、ソレの聞きどころはここだ」と茶坊主のようにひたすら持ち上げるだけだ。

明らかに日本の音楽評論は衰退していると私は考える。