コンゴに魅せられた人たち

私のように1980 年代初頭にコンゴ(当時のザイール)に行った者は日本のコンゴ音楽ファンの中でも長老的な存在なのだが、上には上がある。私よりはるか前にコンゴに移住 し、現地で大人気のタブ・レイ/アフリザというバンドに入り、最後はコンゴの土になった五郎さんという方がいる。この人はサックス奏者だったという以外、 私は何も知らないが、しかし私が行った時ですら、コンゴに関する情報は全くなく、いや辞書すら無かったのに、よくも現地に移住する気になったものだ。

五 郎さんに関しては私はこれ以上、知らない。他にもコンゴ人バンドの正規メンバーになった日本人は数人いるが一般にはほとんど知られて無いので、ここでは ジャズ・ドラマーでビッグバンド・リーダーだった石川晶さんの話をして見よう。何故かと言うと石川晶さんは多くの歌謡曲の歌伴奏をやったので演奏を見たり 聞いたりした人がかなりいるからだ。最近はクラブ音楽シーンでレア・グルーブ演奏者として再評価されているらしく、海外のサイトで石川晶さんの過去のアル バムが売られていたりする。とりあえずYouTubeで聴ける曲ではGet Up!がナイスだ。細かいプレス・ロールを多用してスネアを連続して叩くスタ イルは非常にコンゴ音楽的だ。

その石川さんがカウント・バッファローズを解散してナイロビに移住されて初めて私は石川さんがコンゴ音楽 ファンであることを発見した。それまではただのジャズ/ファンクの人だと思っていたのだ。石川さんはナイロビのライブ・ハウスを巡っては良い演奏家を見つ け出し、当時、恵比寿にあった奥さんが経営するピガピガというお店に送り込んだ。すでに書いたがケニアで一番、人気のある音楽はコンゴ音楽であり、ライブ ハウスで演奏している者もほとんどコンゴ人だ。石川さんのおかげでアフリカやパリに行かずとも生のコンゴ音楽が聴けるようになった。

石川 さんが2002年2月10日に現地で脳出血で亡くなった時は数時間遅れで日本のBBSに書き込みがあった。その後、ケニア人の友人たちの手によりナイロビ 郊外で土葬されたと私は思っていたが、wikiの記述では遺骨の一部がケニアに散骨されたとある。私たちが知ってる情報とは少し違うが大きな問題ではな い。

晩年の石川晶さんの活動をフォローし、その死をおしんだコンゴ音楽ファンがたくさんいたことはメジャーな音楽シーンではほとんど知られて無いが、一応、事実なのだった。