ネットの情報はますます希薄化している

検索をすると多くのブログがヒットするようになった。私のようなサイト信者(笑)から見るといくつか不満がある。

1.何故、サイバーエージェント(電通の子会社)などに自分が制作した無料コンテンツを提供し、広告売り上げ増進に協力しなければいけないのか?

2.何故、これだけサイトの料金が安くなったのにブログを使うのか?

3.ブログのアクセスは遅い。自分のサイトを訪問しコンテンツを見てくださるかたには出来るだけ楽をしてもらうべきだ。

4.多くのブログには独自コンテンツがない。何かの話題をみんながネットワークで取り上げているだけだ。それはネットの多様性を殺す。あるいは個性の否定だ。

最 大の不満は1.である。自分のサイトなら入れる広告主を選ぶことができる。例えは私のサイトにトヨタから広告申し込みがあったとしても「私は車に興味あり ませんから」と断る自由がある。ブログにはどういう広告が入るか選択する自由が無い。結果として、コンテンツは素晴らしいブログなのにアクセスしたとた ん、女性の下着のドアップとかを見せられたりする。状況によっては、それも「良いスパイス」なのかも知れないが、真面目なサイトでそういう広告を見ると 「嫌がらせ」かと勘ぐってしまう。

2.に関して言えば、このサイトを運営する上で私が払っている料金は年間1500円である。私は自己主張をしたいのであり、そして1年の自己主張代として1500円は十分、安いと思う。

3.に関して言えばftth120メガの私ですら、ほとんどのブログへのアクセスが遅いと「いらだち」を感じるのだからADSLとかのひとの不満は相当に高いのではないだろうか?

そして4.も大きな不満なのだが、昔は一人一人の個人の喜怒哀楽が感じられる優良サイトが多数、あった。今、あるのはブログ・ランキングを競うための義務化された日々の希釈断片コンテンツである。

ブログの考えをさらに進めたのがTwitterである。ここでは、もはや情報は断片で良いという前提での馴れ合いが成されている。それは特定層の囲い込みには向いているかも知れないが、内容の希釈化、断片化においてはブログよりはるかにひどい。

そうした傾向をネットの大衆化として捕えることも可能だ。だが、ここでは1つ見逃されている点がある。Twitterで何か断片的な情報を出し、それが社会に対し大きな「否定的な影響」を与えた場合、サイトと同じレベルで法的責任を問われるという点だ。

例 えばTwitterで何か株価に影響を与えるようなことを書き込む。あるいは振り込め詐欺でもよい。これは日常生活でのボヤキとは全く違う。何故なら、イ ンターネットにアクセスし口座にログインしないと文章の更新ができない以上、書き込んだこと全ては過失ではなく「意図的な犯意」と取られて当たり前だから だ。

もし、Twitterで何か社会に影響を与えるようなことを書き込んで、実際に社会に悪影響が生じ、訴訟がおこされた時にTwitterという新しいネット・メディアの真価がわかると私は考える。