姫路、その土地と風土

あれは朝日新聞東京本社に在籍していた頃だった。何故か、姫路の話になった。経緯を正確に思いだせないが恐らく相撲の増位山(後の朝潮)の話題から始まったと思う。私は中学3年の2学期に大阪府高槻市高槻第6中学に転校するまで兵庫県姫路市姫路市立増位中学にいた。

私 が「増位山は姫路の増位山という本当にある山の名前からシコ名を取ったんだ。近くには市川という川があって」と話をすると同期入社の連中がドッと笑った。 「オマエ、そんな誰も知らないローカルな話題をするなよ」と彼らは言った。私は「えっ、でも市川は哲学者の和辻哲郎が散策し多くの著作のアイディアをねっ た歴史的な場所だよ」と言ったのだが彼らは東京で市川と言えば千葉県の市川市に決まっていると主張したのだった。皮肉なことに市川市にはCat's Alleyという有名なコンゴ音楽バーがあってコンゴ音楽ファンである私は当然ながら何回も市川市に行っていた。

という訳で今回は姫路という土地とそこに生まれ生活した和辻哲郎という哲学者/倫理学者について書いてみよう。

私 が増位中学に上がってすぐに非常にきれいな同級生がいるのに気がついた。その人は少し古風ではあるが長身の美人で勉強もできて、その上に女子テニス部の キャップテンだった(中学3年時)。どこの学校にも一人はそういう「できる人」がいるものだが、その内に私は先生を始め多くの学生が彼女を特別視している のに気がついた。ある日、その理由を聞くと「彼女は哲学者、和辻哲郎の孫だ」という説明を受けた。私は驚き「えっ、和辻哲郎の孫娘が同級生?」とつぶやい たが、さっぱり実感が湧いてこないのに気がついた。何故かと考えて見ると私は和辻哲郎の名前は知っていたが何をした人なのか全く知らなかったの だ。図書館にいくと、ちゃんと和辻の全集があり私は数冊読んだ。だが難解なせいで中学生の私には内容は全く理解できなかった。理解できないのは別にかまわないのだ が理解したいという興味もおきなかった。要するに自分の守備範囲外だった。

残念なことにこの孫娘とは一回も同じクラスにならず親しくなる どころか話をすることもほとんど無かった。だが、すでにこの頃、私はアフリカ音楽にはまっており特に残念とも思わなかった。当時、英国で活動していたオシ ビサというガーナ人中心のアフロ・ファンクバンドの日本盤が発売されていた。私はオシビサの音楽の放つ「黒魔術」のとりこになっていたのだ。

当 時の姫路にはアフリカ音楽で踊るような場所はどこにもなく、また行くようなお金も無かった。私は休日は近くの市川に釣りにいくことが多かった。市川という のは相当に大きな川なのだが、河川敷に牛の生皮がたくさん日干しにされていた。市川周辺には皮革業者が多かったのだ。同時に、被差別部落も周囲にたくさん あった。牛の生皮は強烈な異臭を放っていた。市川に行くたびに私は「臭い」と顔をしかめた。

同時に、市川周辺には変わった人が多かった。 例えば、市川に面したマンションの5階のベランダからリールを投げて、釣りをしている人がいた。そんな滅茶なことをして魚を釣っても5階まで釣り上げる前 に落ちてしまうのだが、その人はそうした事をあまり気にしてないようだった。不思議なことに、その人をとがめる人もいなかった。

市川とい う川での釣りと水遊びに関しては良い思い出しかないのだが、その周囲に住んでいる不思議な人々は何か怖かった。また姫路には在日やヤクザが多かった。正直、繁華街に一人で出ると因縁をつけられるために出来るだけ出ないようにしていた。私が生まれ育ち、現在も住んでいる山口 県にも部落はたくさんあるが姫路の部落は私の知る部落とは大きく違い「荒々しかった」。その理由は不明だ。

和辻哲郎の文章というと静澄と いう表現が浮かぶ。だが和辻が散策し、著作のアイディアをねった市川周辺は伊勢神宮/五十鈴川的な清らかな部分と秘められたドロドロした土着的な感情が交 錯する場所だった。当時は和辻哲郎が死んで10年かそこらだったので、私が市川周辺で見た光景を和辻も見たはずだ。だが和辻の著作物には市川周辺に住む被 差別部落民をどう思うか書いた部分は無い。少なくとも私は知らない。また和辻は姫路に多くいた在日やヤクザにも触れていない。そうした「ものごと」への反応あるいは反 発として一連の著作物が書かれたのかなと私は思う。

姫路での短い生活からすでに数十年たった。もはや姫路の土地とか 風土がどうだったか、ほとんど忘れかけている。だが、今、姫路で過ごした日々を思い返すとき、私は大きな感慨にふけるのだった。それは何かと言うと「和辻 は著作物より孫娘のほうが100倍良かった」という率直な感想だった。

逃した魚は大きい、残念なかぎりである(笑)。

参考

オシビサの名曲「オレンジ」(音質は非常に悪い)
http://www.youtube.com/watch?v=87SAQ7MKp-4&feature=related

参考2

和辻哲郎(1889〜1960)哲学者

明治22年、市川の西にある神崎郡砥堀村仁豊野(現在の姫路市仁豊野)の農村に生まれた。

晩年の「自叙伝の試み」『私の生まれた村』『私の生まれた家』『村の子』には市川に沿った西播磨(現在の姫路市)の農村の様子が描かれている。