報道しない自由は日本国民への背信行為である
2010.05.15
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今、 ネット上では新聞やTVによる「報道しない自由」を疑問視する声が高まっている。私は広告営業とは言え、一応、全国紙で働いてた時期が10年ほどある。物 の見方はどちらかと言えばメディア寄りに「偏向」しているのだが、「報道しない自由」に関しては大きな違和感を持ったものの、報道各社の報道姿勢とか方 針もあり、何が根本的な問題なのかわからなかった。やっと理解できたので報道しない自由は日本国民への背信行為であるという説明をしてみたいと思 う。

まず日本語wikiを見てみよう。

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1

報道の自由(ほうどうのじゆう)とは、日本では報道機関がさまざまな表現媒体をもちいて国民に情報を伝える自由としての表現の自由の一内容としてとらえられている。

し かし、英語圏ではFreedom Of Press、つまり、マスコミなどの報道機関の自由となり、報道活動だけでなく取材、さらには報道機関を設立する自由も含む自由ととらえられ、アメリカな どではこの場合、表現の自由は憲法で保障されている権利となっているが、取材活動に関しては憲法的に保障された権利ではなく、取材を制限するような法律は 合憲との判断が最高裁判所で出されている。議会の証人喚問で、記者や編集者が合法的には得られない政府の情報のソースの身元の証言を拒否した場合、その記 者が場合によっては服役刑に処せられるのもこのためである。もちろん、政府の行為そのものが違法である場合などでは「公共の利益」を根拠に無罪判決を勝ち 取った場合が英国でも存在する。

報道の自由に関しては、個人のプライバシー、企業や国家の機密などに関して報道機関の表現の自由がどの程度法的に制限されるべきか、また、表現の自由と別の取材活動などの自由・権利をどの範囲で認めるべきかどうかという議論がなされる。

引用終わり

上の日本語wikiの記述を読む限り、今、日本の新聞とTVが駆使している「報道しない自由」には法的根拠があるようにも見える。そこで英語wikiでは報道の自由をどう定義しているか見てみよう。

引用

http://en.wikipedia.org/wiki/Freedom_of_the_press

Freedom of the press is the freedom of communication and expression through vehicles including various electronic media and published materials. While such freedom mostly implies the absence of interference from an overreaching state, its preservation may be sought through constitutional or other legal protections.

With respect to governmental information, any government may distinguish which materials are public or protected from disclosure to the public based on classification of information as sensitive, classified or secret and being otherwise protected from disclosure due to relevance of the information to protecting the national interest. Many governments are also subject to sunshine laws or freedom of information legislation that are used to define the ambit of national interest

引用終わり

上のwikiの文章の最初の段落において非常に重要な指摘がされている。

While such freedom mostly implies the absence of interference from an overreaching state, its preservation may be sought through constitutional or other legal protections.

そうした報道の自由は、外国からの不当な干渉が無いことを前提としており、報道の自由を守る行為は、憲法ないしは他の法的手段により遂行する事ができる。

英 語wikiは報道の自由(Freedom of the Press)の定義のしょっぱなにおいて非常に重要な前提を挙げている。それは何かと言うと、言論機関が対外勢力から影響を受けないことを前提に言論の自 由は設定されているという事実だ。むしろ対外勢力の影響からどうやって報道の自由を守るかを重視している。日本語wikiは、この非常に重要な部分を(恐らく意図的に)省いている。

英語wikiを読んではじめて日本で現在、猖獗を極める報道をしない自由が完全に違法行為である事が理解できた。何故なら、現在の日本メディアは明白に「対外勢力」の影響下にあるからだ。

日 本の新聞やTVは欧米のメディアより遥かに高い倫理が求められる。何故なら、新聞やTVが社会の公器であるという前提で、国有地が格安に払いさげられ、メ ディアの社屋地になっている。押し紙と言った明白に反社会的行為も新聞が社会の公器であるという前提で容認されてきた。あるいはTVは日本国民の財産であ る電波の優先割り当てを受けている。NHKにいたっては僭越かつ傲慢にも公共放送を名乗っている。

だ が、上の英語wikiの記載にあるように、報道の自由/報道しない自由は対外勢力からの干渉が無いということを前提にしている。もっと解説すれば「対外勢 力」からの影響を排することが報道の自由を守ることにつながるのだ。つまり、日本メディアが報道しない自由を駆使することを許す法的根拠は全く無い。

高い購読料金を払ってくれる読者を裏切る新聞、受信料をまるでミカジメ料のように取り立てる「公共放送」、やたらと寒流番組を流す民放TV、こうしたメディアは読者、視聴者を裏切る背信行為をしているだけでなく、国民をも裏切っている。

要するに、報道しない自由とは編集権を「対外勢力」に売り渡したということに過ぎないのだ。当然ながら報道しない自由=報道の自由の否定であり、それは憲法に反する行為だ。

記者とか電波芸者は日本国籍を剥奪して「魂の母国」に帰すのが法的に正しい措置と私は考える。

追記

上 に挙げた日本語wikiの報道の自由を書いたのが誰か私は知らないが、報道の自由はfreedom of the pressでありfreedom of pressでは無い。ただのpressでは輪転機になってしまう。輪転機の自由では無く、言論の自由ならthe pressで無ければならない。それとも 上のwikiを書いた人はラッダイトのことしか頭にないのか(笑)。

theを入れるかどうかはネイティブでも意見がわかれる部分だが、the pressとpressの違いがわからない人がwikiの記述をすべきではないだろう。