アフリカの深夜3時を一人で歩く

コンゴの首都キンシャサに音楽を聴きにいった時のことだった。キンシャサの深夜3時の街を一人で40分ほど歩くと言う珍しい体験をしたので書いて見る。

スイスの朝は早いかもしれないがキンシャサの夜は遅い。普通、コンサートが始まるのは夜中の12時半から1時の間だ。いったんコンサートが始まったら太陽が昇るまで続けられる。普通は朝の5時だ。

一 般的な構成としては、まずバンドのリズム隊による演奏が1時間ほどある。彼らがある程度、盛り上げた後、コーラス歌手が出てくる。コーラス歌手と言っても 十分、ソロを取れるくらいうまい人が多いのだが。そして夜中の3時くらいになって、やっとバンドのメイン・ボーカリストが出てくる。だが彼は1時間くらい 歌うと引っ込んでしまう。後は夜が明けるまで残りのメンバーで持たせる。こうしたハードな演奏を週に4回くらいやる。

メイン・ボーカリストは良いが、リズ ム隊の連中はたまったものではない。特にドラムの人は4時間、叩き続けるのだから疲労が激しい。当然ながらぶっ倒れる人も出てくる。だが有名なバンドは全 ての演奏者に対し、全く同じ演奏ができる二軍をかかえているのでコンサート自体はいつも通り、行われる。可哀相なのは倒れた人で、代わりに演奏した二軍の 人の演奏が好評だと、そのままクビになってしまう。キンシャサの音楽ビジネスのハードさは日本の比ではない。

私はグラン・ザイコというバンドの演奏を彼らの常打ち小屋で聴いていた。このバンドは指の魔術師ことペペ・マヌアク/マヌアク・アク(Pepe le Magicien)というギタリストの超絶技巧を駆使した演奏が売りなのだが、やはりボーカルが弱いコンゴ音楽は退屈だった。

その内に私は、今、別の場所 でパパ・ウェンバ抜きのViva la Musicaが演奏しているのを思い出した。私はコンサート会場の外に出た。キンシャサの夜は暗い。何故かと言うと深夜灯が不十分だからだ。だが月が出ており歩けないことは無かった。タクシーを拾うかどうか考えているうちに風にのってViva la Musicaの演奏が聞こえてきた。キンシャサのライブハウスは日本の海の家そっくりのコンクリート打ちっぱなしの広場にビールを飲むためのテーブルを並 べているだけであり、天井がないために演奏が数km先でも聞こえるのだ。

通りが暗いのは不安だったが演奏が聞こえるくらい近いのだから歩 いていこうと私は考えた。ところがキンシャサの深夜灯は本当にお粗末で、手探りに近い状態で進むことになった。歩いていると現地のコンゴ人と出会う。出会 うのは良いが、ぶつかりそうになるまで相手に気づかない。何故かと言うとコンゴ人の皮膚が闇に溶けてしまい人間の輪郭が見えないのだ。

い きなり目の前にコンゴ人が現れ、私は驚き身構えた。面白いことに相手のコンゴ人も驚いたようで2-3m後ずさりをした。彼らは私を闇の中で認めていたよう だが、当然、コンゴの旧宗主国であるベルギー系の白人と思ったようだ。それが闇の中から突如として「謎のアジア人」が現れたために肝をつぶしたようだ。

何 しろ手探りで歩いているためにViva la Musicaの常打ち小屋ヴィザ・ヴィ(Vis a Vis)に着くまでに40分近くかかった。メイン・ボーカリストであるパパ・ウェンバはいなかったが当時のViva la Musicaは非常に高いレベルで安定した演奏をしていたので十分、楽しめた。コンサートは通常通り、朝の5時まで続いた。

そこから宿泊 していたホテル、オテル・マトンゲに歩いて帰った。さすがに疲れてベッドに倒れ、じっとしているとホテルの前で物売りのオバチャンが早朝の行商を始め た。こうしたオバチャンが持っているコンゴ河で採れた魚にスパイスをまぶし干したものが非常に美味しく私は朝ゴハンの代わりによく買っていた。そうしたオ バチャンは大抵、自分の子供を連れており、その子供が「ウチのサカナは美味しいよ」という呼び込みをメロディーをつけて歌った。そのガキの歌 がまた良かった。

キンシャサには24時間、音楽があった。私の個人的な偏見を言えば、世界で最良の音楽が24時間、街に溢れていた。そこはコンゴ音楽ファンにとっては天国に一番、近い場所だった。

同時にエイズやエボラ、マラリアにかかり天国に行く人も多数いた。本当の意味で天国に一番、近い場所だったのだ。