報道しない自由は報道の自由の否定である

前回の「報道しない自由は国民に対する背信行為である」を書いていらい何かヘンテコリンな感じがした。やっと、その理由がわかったので書いてみる。

現在の日本国憲法は大日本帝国憲法とアメリカ占領軍の書いた草案の折衷であると私は理解している。報道の自由は憲法第21条において保障されている。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

し かし21条が保障しているのは言論と出版の自由であり報道の自由ではない。出版の自由ならFreedom of pressでかまわない。何故なら、出版 /印刷するためには輪転機なりの印刷装置が必要だからだ。つまり日本国憲法が直接的に報道の自由を保障している訳ではないのだ。「その他一切」の部分で保 障しているだけなのだ。ここらの憲法の持つ曖昧さがマスゴミに悪用され、あたかもどのような報道の自由/報道しない自由も保障されているように喧伝されて いる。

だが、すでに見たように英語wikiでは無制限の報道の自由を認めていない。まず報道に対し外国からの干渉があってはならない、それはむしろ報道の自由の否定であると述べている。また国家機密に関する報道の自由の制限に関しても触れている。

http://www.afrobossa.sakura.ne.jp/view/view263.html

こ れは当たり前の話だ。憲法と言うのは日本という国の運営方法の基本を書いたものであり国家を破壊する行為を許さないというのは当然の大前提だからだ。それ を許すことは「国家レベルの自殺の勧め」に等しい。国をどう運営するかを定めた規定に「どうやって自殺するか」が書かれる訳がない。当然、自殺を防ぐ方法 が書かれるべきだ。

私は憲法学者でも法律研究者でもなくコンゴ音楽愛好家なので、何故、日本国憲法にはハッキリと「日本という国を破壊し ようとする行為を排除し罰する」と書かれてないのか理由はわからない。意外と、あまりに自明なためにアメリカ占領軍は省いたのかもしれない。何故なら、現 状のように国家レベルで自殺に向かうことは普通は想定できないからだ。なお外患誘致罪は基本的に大日本帝国憲法の規定を受け継いでいる。

い ずれにせよ日本語wikiと英語wikiでは報道の自由の定義と考え方が根本的に違うことがわかった。アメリカは当然ながら極めて現実的なアプローチをし ている。日本での報道の自由の解釈が完璧にお花畑なのだ。ただ憲法学者でもない私がいくら力説しても何ら影響力が無いので、まともな憲法学者が現れること を期待して報道の自由/報道しない自由の部分は終わろう。

ところで報道の自由という極めてありふれた概念においてすら、日米でこれだけの差があるのだからジャーナリズムの規定も当然、違うだろうと思って調べてみた。ちなみにジャーナリズムというのは広い意味で報道とそれに付帯する行為である。

な お私はアメリカのジャーナリズムを崇拝している訳ではない。アメリカのジャーナリズムにも固有の欠陥がある。「マタ、オーニシカ」に見られるようなステレ オタイプの価値観の押しつけなどはアメリカのジャーナリズムの大きな欠陥だろう。だがジャーナリズムという言葉がそもそも英語なのだから英語wikiの定 義を参照することは有意義な行為と考える。

引用

http://en.wikipedia.org/wiki/Journalism

According to The Elements of Journalism, a book by Bill Kovach and Tom Rosenstiel, there are nine elements of journalism [1]. In order for a journalist to fulfill their duty of providing the people with the information they need to be free and self-governing. They must follow these guidelines:

1.Journalism's first obligation is to the truth.
2.Its first loyalty is to the citizens.
3.Its essence is discipline of verification.
4.Its practitioners must maintain an independence from those they cover.
5.It must serve as an independent monitor of power.
6.It must provide a forum for public criticism and compromise.
7.It must strive to make the significant interesting, and relevant.
8.It must keep the news comprehensive and proportional.
9.Its practitioners must be allowed to exercise their personal conscience.
10.Its the rights and responsibilities of citizens.
 
In the April 2007 edition of the book [2], they added the last element, the rights and responsibilities of citizens to make it a total of ten elements of journalism.

引用終わり

ビル・コバックとトム・ローゼンティールという人たちが書いた「ジャーナリズムの要素」という本の中で挙げられている10の項目がジャーナリズムの骨子であると英語wikiは考えているようなので、以下それを簡単に訳してみた。

10の項目とは

1.ジャーナリズムは真実に対し最優先義務を負う
2.ジャーナリズムは市民に忠実でなければならない
3.ジャーナリズムの骨子は検証を徹底することにある
4.ジャーナリストは取材対象からの独立性を維持しなければならない
5.ジャーナリズムは権力から独立した監視者としての役割を果たさなければならない
6.大衆からの批判を受け、何らかの妥協を見いだす討論の場を提供しなければならない
7.報道が意義を持ち、興味を持たせ、状況にあったものであるように努力しなければいけない
8.ニュースは包括的でありバランスが取れたものでなければならない
9.ジャーナリストは個人の良心に基づき行動することが許されるべきだ
10.ジャーナリズムは市民の権利であり義務でもある

1 つずつコメントするのは大変なので大きな傾向のみを指摘する。まず日本のマスゴミは検証しない。ただ諸官庁から発表されるプレス・リリースをコピペしてい るだけだ。また大衆の批判を受け付けないし、討論の場も提供しない。一方的に「主張」を押しつけてくる。例えばホッケを煮付けで食べる政治家を魔女狩りの ように紙面で批判し、読者からの反論を一切、受け付けなかった。

だが日本マスゴミの最大の問題は8.にあると思う。日本マスゴミの報道は バランスが取れてない。自民党の「醜態」は大げさに騒ぎ立てるくせにミンスの「醜態」は紙面のすみでコソコソと報道する。さらに問題をおこしているにも関 わらず報道されない「特定層」がある。日本マスゴミがそろって「特定層」がらみの報道をしないために問題が存在することすら国民の多くは知らない。

個人的には9.が最も気になる。このサイトの文章を読まれている方は私が以下の指摘をしていることをご存知だろう。

1.毎日新聞の最初の経営危機の際に、広告割り付け権利を電通に売り渡したという「業界の噂」がある
2.戻しを入れた電通の実質広告マージンが50%をこえていると考えられるような体験を私がした
3.昭和天皇ご崩御からわずか3週間後に「次回」は通常の紙面、番組構成でいくと4社会議で決めた
4.開口健のカリフォルニア・CMロケの最中に電通の制作が事故で死んだ。電通はこれが記事になる前にメディアに圧力をかけてもみ消しサントリーに恩を売った(噂の真相という雑誌が部分的に報道し私の主張を部分的に裏付けた)

他 にもたくさん、あるのだが何故、私しか上記の問題を指摘しないのかに関しては大きな不満がある。新聞や広告会社は意外と離職率が高い。また退職してしまえ ば「社内秘密」を守る理由もない。実際、上の4点を知ってる人は日本に10万人はいるだろう。何故、広告営業しかやらず記事を一本も書かなかった私しか、 そうした「業界の常識」の指摘をしないのだろうか?彼らはジャーナリスト/記者としての良心の痛みを覚えないのだろうか?

そうなのだ、日 本のジャーナリスト/記者は自らの良心を「対外勢力」に売り渡した。その上で自分たちの「社会の公器」としての特権を不当にも維持しようとしている。だか ら、たかが広告営業でしか無かった私が自分の良心に基づき日本のジャーナリズムのあり方をずっと批判しているのだ。

今、必要なのは日本でジャーナリズムと呼ばれているものが「洗脳工作」ではなく本当のジャーナリズムかどうかを検証する事だと私は考える。