口蹄疫と動物の命の尊厳

引用

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/172037

子豚が吸い付くと、周りの水泡がつぶれて乳房が黒く染まる。痛いはずだが、それでも母豚は、つめがはがれた足で立とうとし、乳を飲ませようとする‐。

 「もう、こんなつらい光景は見たくない」。養豚場経営者(63)は、感染した母豚の様子がまぶたに焼きついている。

 最初は小さな異変だった。鼻と足から血を流している母豚2頭を見つけ、家畜保健衛生所に連絡した。そこから爆発的な速さで広がった。抵抗力が弱い授乳中の子豚は、前日の元気がうそのように翌朝はあちこちに転がっていた。

 数日後に殺処分される豚たちに手渡しでえさをやり、腹いっぱい食べさせた。処分が始まるまでの8日間をとても長く感じた。約700頭がいた豚舎は今、骨組みだけが残る。

 「疲れた。今後のことも考えんといかんが、今は希望が持てない」

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 「畜産は人の命をつなぐために動物の命を奪う仕事。でもこんな形はいやだ」。別の養豚場経営者(61)は、数日前に約600頭を処分した。

 殺処分は鎮静剤、薬剤の順番で注射する。若くて経験の浅い獣医師は、針が血管にうまく入らず「ごめんね、ごめんね」と豚の頭をさすりながら2本目を打った。眠るようにしゃがみ込み、息絶える豚を見ていて、涙が止まらなかった。

 「これでもうウイルスを出す心配はない。迷惑を掛けんですむ」。すべてが終わり、悲しみと奇妙な安堵(あんど)を感じた。埋めた場所は自宅から歩ける距離。しばらくは毎日、お参りに行くという。

引用終わり

私 が住んでいる街は神戸牛ほどではないがブランド牛の産地として知られている。そうした牛を育てる畜産家は育てた牛が出荷される時に泣いて別れを告げるそう だ。牛もこれから自分がどうなるのかわかるらしくトラックに入れられても悲しげな鳴き声をずっと出す。それが涙をさそうそうである。

他人 事のように書いているが実は私も馬、羊、鶏、ウサギなどを飼っていた時期がある。正確には親が飼っていたのだが鶏とウサギの当番は私だった。鶏やウサギの 好きな野草(オオバコだったかな?)を近所の野原から積んできて餌としてやった。鶏は卵のカラを作るためのカルシウムが必要なので貝殻をハンマーで砕いて 与えると喜んで食べた。

馬はどういう目的で飼っていたのか不明だ。いずれにせよ農協が買い上げるので育てれば良かった。だが馬というのは 病気になると物凄く悲しい目をするのだ。つらいとか苦しいとか言いたいのだろうが黙って座り込む馬を見るのはとてもつらい体験だった。羊は羊毛を取るため に飼っていた。バリカンで刈られた羊は驚くほど痩せており、また赤く白いむき出しの皮膚が痛々しかった。鶏はタマゴを取って、日常的に食べていた。最終的 にどうなったかは知らない。食べたのかも知れない。ウサギは恐らく毛皮と肉を取るために飼っていたのだろう。ウサギを飼うのが一番、楽だった。

他 にも犬・猫が飼われていた。これは食べるためではなくペットである。他にも大蛇がいた。これは飼っていたというより勝手にやってきて住みついた。真夜中に 天井裏でバタバタと大きな音がする事が何度もあった。これは大蛇がネズミを捕まえ飲み込んでいたのだ。時々、庭に植えていたクスノキに1mくらいの長さの 蛇がからみついていたが恐らく、あの蛇がネズミを食べていたのだろう。ネズミは生きる上で邪魔でしかなかったので蛇は有益な「ペット」だった。

私の小学校低学年の日常はこんな感じだった。慶応幼稚舎からどこの名門小学校に上がったかを自慢する朝日新聞の平均的な社員と話があわないはずだ。

さ て不審なのは命の大切さを訴える鳩山民主党政権の対応だ。鳩山氏は最初の施政方針演説で「命を守ることは友愛政治の中核だ」と自らの政治理念を強調され た。だが動物もまた生き物であり、動物の命もまた、それなりの尊厳を持って扱われるべきだ。今回の鳩山民主党政権の対応は「命を守る」対応だったのだろう か?

引用(産経新聞)

口蹄疫に関連し、畜産農家に対する経営再開までの生活支援などについて記者会見する赤松農相=21 日午前、農水省 宮崎県で口蹄(こうてい)疫被害が拡大する中、4月30日から今月8日にかけて、9日間にわたり中南米を訪問した赤松広隆農水相。「何カ 月も前からの約束」だと重要性を強調し、「反省するところはない」と主張する。早期の現地入りを求めた野党や、地元の要望を振り切って“決行”した外遊日 程と成果を追った。

引用終わり

その赤松氏の経歴なのだが以下の通りだ。

引用

赤松広隆農相プロフィール
 
昭和23年5月3日
故・赤松勇代議士の長男として生まれる。
  
  東海中学卒業
  早稲田大学高等学院卒業
  早稲田大学政経学部卒業

昭和46年 大学卒業と同時に日本通運(株)ヘ入社。
昭和54年 愛知県議会議員に初当選。以来3期連続当選。
平成2年 愛知6区より衆院選出馬。トップ当選。
(中選挙区)社会党中央書記長歴任。
平成5年 総選挙においてトップ当選を果たす。(中選挙区)
平成8年9月 社民党愛知県連代表辞任と共に離党、民主党設立に参画。

引用終わり

東海中学のような名門を出たことを誇るような二世議員に畜産農家の苦しみがわかる訳が無い。そういう人間を農相にすえた鳩山由紀夫が当然、任命責任を取るべきだ。

鳩山さん、人の命ほどではないにせよ動物の命もまたそれなりの尊厳を持って扱われるべきですよね?何故、あなたは口蹄疫を徒に拡大させ、殺処分が必要な動物の数を増やすのですか?あなたの言う友愛とは一体、何なのですか?

恐らく、鳩山氏も赤松氏も動物と一緒に暮らすという体験をしたことが無いのだろうと私は思う。