座礁した貨物船(パート2)

昔、私が運営して いたサイトには掲示板があり私はちゃんと書き込みに返事をしていた。現代美術におけるハイチの絵画の位置づけとか相当にクリエーティブな場を提供していた のだ(サウンドブラスターとは関係ない)。ところが時々、音楽に熱中すると文章を書かなくなった。そうすると音楽を制作するヒマがあるなら文章をかけとい う要望があった。文章を評価してくれるのは良いが、そんなにオレの音楽はつまらないのかとガッカリしたのも事実だ。という訳で苦情が入る前にまた文章を書 く作業に戻ろう(笑)。

私の祖父は貨物船の船長をしていた。だが祖父が生きていた頃、私は学生であり祖父が何の仕事をしていたか具体的に 知らなかった。私が20歳前後、家に戻って祖父と話をした時の事だ。祖父は神棚を作っており、それを一生懸命拝んでいた。その神棚の中に大きな黒い石が あった。私は祖父に尋ねた。

「あの神棚に祭ってある黒い石は黒曜石か?」

ところが祖父は黒曜石(こくようせき)が何か知らなかったらしくモゴモゴと口ごもり「あれは石炭だ」と答えた。神棚に祭ってるくらいだから貴重なものだろうと考えて私は黒曜石かなと言ったのだが。

祖 父は若い頃は貨物船の船長をして、地元で採れる石炭を関西、特に神戸に運ぶ仕事をしていたらしい。それはそれで正規の仕事になっていたのだが大きな台風が 来た時に貨物船が座礁し使い物にならなくなった。そこで海の仕事から足を洗い山師になったわけだ。その血はちゃんと孫に引継がれている(笑)。

しかし祖父にとって石炭を関西に運ぶ仕事というのが人生において最も重要な仕事だったらしい。その為に、ただの石炭が神棚の奥に置かれていた。祖父にとって石炭は神棚に入れて祭るほど「重要なもの」だった。つまり市場原理では説明できない「価値」が存在した。

晩 年の祖父は地域の墓場の集積事業に没頭した。祖父は徒にあちこちに墓地があることが地域の発展を妨げていると考え、そうした墓地を1箇所に集め地域の土地 有効活用を考えた。これは今、振り返っても斬新な発想だと思う。祖父はたくさんの家庭を回り、趣旨を説明し理解を求めた。そうした祖父の努力により地域の 中心部に巨大集積墓地が作られた。

数年後、祖父が死んだ時、その巨大集積墓地内火葬場で荼毘にふされた。「オンボウ」は火葬炉から祖父の 骨を取り出し言った。「ほら、ここに黒い部分があるでしょ。これは癌が骨にまで達してたんです」と言った。確かに、その骨には黒いシミがついていた。だが 私は、そうした事を平気で家族に告げる「オンボウ」に対し、大きな不快感を持ったのだった。

どんな人にも語られるべき「歴史」がある。残念ながら、ほとんどの場合、継承されることなく忘れさられていく・・・・

それはとても残念なことだと私は考える。