意外と善意に満ちているネット社会

すでに書い たように私はKVRという恐らく世界最大の音楽制作者用フォーラムを毎日、見ている。先月、SYNTH1という無料のソフト・シンセの開発者として世界的 に知られている戸田一郎氏がSYNTH1を数年ぶりにアップデートされた。その後、ユーザーの方から要望があったのかKVRの中にあるSYNTH1のス レッドにご本人が現れ、色々な要望を聞かれた。その後、3週間くらいに渡り、怒涛のアップデートがあった。私はKVRに登録してないので読むだけだった が、日本人開発者が世界に向けて優れたソフト・シンセを提供し続ける姿勢を誇らしく思ったのは確かだ。このシンセは全く無料である。無料であるにも関わら ず、ちゃんとユーザーの意見に耳を傾け、改良する姿勢をけなす人はどこにもいないだろう。

戸田さんに限らずネットには意外なほど善意があ る。そう言えば、昔、私が運営していたサイトにおいてあったイラストもプロのイラストレーターの方が無料で制作してプレゼントしてくださったものだった。 名前を出すと迷惑がかかるので出さないが、アドベ・イラストレータ入門書なども書かれている方である。

ところが既存マスゴミはそうした ネット上に無数にある善意をほとんど紹介しようとしない。彼らはネット、特に2chがいかに危険な悪の温床であるかばかり書き立てる。悪いヤツがたくさん いるのも事実だ。だが、それは実社会も同じだ。実社会の善意あるいは偽善、例えばアグネスが「遺書」を書いてソマリアだかソマリランドに行った件は取り上 げるが、ネット上の善意は取り上げない。何故だろう?

1つは既存メディアとネットは利益が反する部分があるためと思われる。恐らく、もう 1つはネットを使わない人たちに、何故ネット上には無料の「優れもの」がたくさん転がっているか理解できないからだろう。だが、そうした人たちに判りやす く解説し、ネットへの理解を深めるのも既存メディアの仕事ではないのか?自分たちの「敵」が多いからというだけでネットに存在する多くの善意の行為を無視 するのが社会の公器がなすことだろうか?

私もこのサイトを運営することで全く利益を上げていない。IPアドレスを抜くようなcgiを入れ てないことはソース・コードを表示させればすぐにわかる。書いてる文章にも音楽mp3にも何ら制約をかけてない。利用者の良識にまかせている。幸いにも利 用者が私の制作している音楽に全く興味がないためにサーバーの負荷にもなってないようだ。サーバー会社も喜んでいることだろう(笑)。

書いてる事はそれな りに珍しい体験と考える。人生の中でアフリカの深夜を一人で歩いたり赤報隊に殺されかかったりサンゴ落書き事件時にリアルタイムで当該責任者である写真部 長と話をした。千人に一人程度には珍しい体験だろう。私はそれに関し文章を書き自分の見解を述べているが私は自分の考えや見解を押し付ける行為は全くして いない。大体、SEO(検索エンジン最適化)対策すらしていない。

何故、そうした自分の珍しい体験を売ろうとしないのかというと、これは ネット初期に出会ったあるサイトの影響が大きい。内容を書くと誰かわかるかも知れないので省略するが、ともかく素晴らしい内容だった。夜の9時くらいから 読み始めたが、膨大な量の文章があるために一日で読み終わることができなかった。また眼が痛くなった。2日かけて全部、読んだ。何回も笑い泣いたので誰か が見ていたら気がふれたと思われたかも知れない。私もパソコン通信あたりからBBSに書き込みをしたりとネット歴は長いのだが、未だに「あのサイト」が私 にもたらした感動をこえるものにネット上で出会ったことがない。

上のサイトの運営者もそうだし戸田一郎さんも別に売名行為をすることな く、今も淡々とサイトを続けられている。こうした例を見る時、自分のサイトはそうした「優れた感動もの」を提供できているだろうかと疑問に思う。いつかは 越える事を目標にしている。それは何かを完成させる喜びを味わいたいからであり、また何も報われることが無くても自分が目標としているサイトを超えられる かどうかというのは楽しいチャレンジだからだ。

ネットには意外なほど善意がある。既存メディアはそれを見ようとしない。もし、それが自分たちの権益保護が目的ならネット利用者から「マスゴミ」と呼ばれてもしかたないだろう・・・・