便宜的にカトリックにもイスラム教徒にもなる人たち
2010.07.11

私 はこのサイトで自分の名前、住所、電話番号、実メール・アドレスを公開している。これは自分の主張と言論に責任をとる上で必要と考えるからだ。その為に 「不思議なメール」がよく届く。ロシア物が多い。最近は「あなたのペニスは短くはありませんか?硬さは大丈夫ですか?でも、もう大丈夫。この薬を飲めば奥さんも恋人も大満 足」というメールが日々、届く。何か9cm砲と勘違いしているのではないだろうか?私の12cm砲は長さも硬さも十分であり特別な薬は必要としてない。大 体、「紛争解決の手段として12cm砲を使用しない」という忍法9条の会の会員である私には関係のない事だ。

そこで思い出したのが先日、 亡くなられた犬法、いや憲法9条の会の創立呼びかけ人である作家、井上ひさし氏のことである。私は、井上氏が奥さんに激しいDVを働き肋骨を折ったことと 憲法9条の定める「非暴力主義」がどう両立するのか不思議に思っていた。そこでwikiの記述を読み多大な違和感を持った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E3%81%B2%E3%81%95%E3%81%97

引用

文 学青年を父として山形県東置賜郡小松町(現川西町)に生まれる。5歳で父と死別し、義父から虐待を受ける。その後、義父に有り金を持ち逃げされた。生活苦 のため母はカトリック修道会ラ・サール会の孤児院(現在の児童養護施設)「光が丘天使園」にひさしを預ける。そこでは修道士たちが児童に対して献身的な態 度で接していた。カナダから修道服の修理用に送られた羅紗もまず子供たちの通学服に回し、自分はぼろぼろの修道服に甘んじ毎日額に汗して子供たちに食べさ せる野菜などを栽培していた。このような修道士たちの生きざまは入所児童を感動させ、洗礼を受ける児童が続出した。ひさしもその一人(洗礼名:マリア・ヨ ゼフ)。

引用終わり

洗礼を受けたという事はカトリック信者になったという事だと私は理解するがカトリック信者は最近まで離婚を禁止されていた。

引用

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212502852

質問

国際離婚について質問です。日本人男がブラジルでブラジル人女と結婚。その後、夫婦で日本に移住してきました。離婚するのに、2年位かかると聞いたのですが、それは日本での離婚成立がという事でしょうか?

日本で、離婚が成立してる場合、ブラジルで離婚成立してない場合でも、再婚は可能と聞きましたがほんとうでしょうか?

回答

質 問の場合の離婚は日本民法の手続きで行われることになります。普通の離婚手手続きと同じですので,法律の規定上2年くらいかかるということはありません。 もっとも,ブラジル人女のほうの手続きが,大使館や領事館などを経由して行われますので,ブラジルでの登録が完了するまでにはそれなりの時間がかかること が予想されます。(ブラジルはカトリックの国であり,離婚は最近になるまで認められなかったことから,ブラジル側の担当者に心理的抵抗がないとはいいきれ ないところです)

なお,日本法での手続きになりますので,市役所等で離婚届が受理されれば,日本人男についてもブラジル人女についても,法的には離婚が成立します。ですから,日本民法やブラジル民法で定められている再婚禁止期間を経過すれば,再婚は可能であると思われます。

引用終わり

と ころが井上氏はバチカンが離婚を認めていなかった1986年に離婚している。ということは井上氏は洗礼を受けたが本当のカトリック信者ではないということ になる。これは100人斬りなどの歴史捏造で知られる本多勝一が本を書くために便宜的にイスラム教徒になったことを想起させる。

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%8B%9D%E4%B8%80

1950 年3月、長野県飯田高等学校卒業。高校在学中は京都大学の木原均にあこがれて生物学を志すも結局進学できず1954年3月に千葉大学薬学部を卒業し薬剤師 免許取得後、1954年4月に京都大学に進学したとされる。京都大学では山岳部に所属し、のち探検部の創設にかかわったとされている。探検部時代にヒマラ ヤ山脈からヒンドゥークシュ山脈奥地にかけての合同調査隊に加わり、その体験をまとめて初の著書となる『知られざるヒマラヤ 奥ヒンズークシ探検記』を刊行した(1958年、角川書店)。京大探検部を朝日新聞社が援助したところから朝日新聞と縁が生じ、同年10月、京都大学を卒 業できず朝日新聞東京本社校閲部に途中入社。推薦人は朝日新聞社主上野精一だった。同期に筑紫哲也がいる。

イスラム教:アラビア遊牧民の 取材にあたって「東京のモスクでイスラム教徒になってから行った」と発言、便宜的にムスリムになったととれる発言であったためその後棄教したのかムスリム であり続けているのかなどについて山本七平に批判される。もっとも山本によると「どうも本多氏には因縁を付けているようにしか受け取られなかったようだ」 とのことである。
 
引用終わり

えっ、本多勝一は縁故採用だったのか?なら全ての過程をへて正社員に採用されたオレより遙かに下じゃないか(笑)。本人は記憶が無いだろうが私は実際に本多氏を知っているだけに「興味深い」ものがある。

で、 何故、井上ひさしは便宜的にカトリック教徒になり、本多勝一は便宜的にイスラム教徒になるという偽善を行うことができるのか?良心は無いのか?大体、厳格 なイスラム金融では利子を禁止している。これはコーランのなかにある「生まれてくる駱駝の子供を売買してはならない」という言葉に基づいている。一方で事 業に投資して、リターンがあることは問題ないとされている。もし本多勝一氏が厳格なイスラム教徒なら銀行預金を作ったことが無いはずだが(普通預金にも利息はつく)。しかし朝日新聞 の給与は必ず銀行振り込みになっており現金が手渡されることは無かった。大昔はあったが。9条主義者とか左翼なんて、所詮、このレベルの偽善者なんですよ (笑)。

期先のCall売りのγとベガに相当するPutを買う。Δを先物でヘッジする。必要に応じてバックスプレッドを作りベガ・ヘッジする。

井上ひさし wikiからの引用の続き

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E3%81%B2%E3%81%95%E3%81%97

性癖的な面
『巷談辞典』(文春文庫、1984年)では、自身の少年時代に行った、猫にガソリンをかけて火をつける、猫を火の見櫓の天辺から落として死なせるなどの猟奇的な動物虐待の数々を、動物愛護団体への批判に絡めて告白している。

『週 刊金曜日』の創刊に関わり編集委員を務めたが、本多勝一との対立から[要出典]僅か2年で辞任している(ただし、その後は和解)。保守派の評論家として著 名な渡部昇一は大学の先輩だったが、当時は図書館に住み込み勤務していた。だが仲が悪く(ひさしに言わせるとサービス精神がまったく無い)、腹いせに渡部 が当番のときにガラスケースに入っていた貴重書を盗み出し神田で売り払い後で渡部が叱られたという噂を聞いて溜飲を下げたとエッセー[要出典]で述べてい る。

引用終わり

要するに動物を虐待する上に、人を困らすために犯罪をおかす異常性癖者だった訳だ。しかし猫にガソリンをかけて火をつける行為と憲法9条の精神は全く相容れないと私は思う。

DVの詳細を読むと背筋に寒気がする。

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E3%81%B2%E3%81%95%E3%81%97

離 婚後、西舘好子は『修羅の棲む家』(はまの出版)でひさしから受けた家庭内暴力を明かした。この本で「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打 撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」と克明に記している。ひさし自身も離婚以前に「家庭口論」等のエッセイで自身のDVについ て触れてはいるが、こちらはあくまでもユーモラスな筆致である。

引用終わり

2chでの無責任で根拠のない噂なども勘案すると井上氏は

「オマエは侵略を受けたアジア国民の苦しみがわからないのか?」と言いながら肋骨に蹴りを入れたのかも知れない。

「オマエに憲法9条の精神を叩き込んでやる。歯を食いしばれ」と言いながら、往復ビンタを浴びせて顔面を殴打し鼓膜を破ったのかも知れない。

カルト信者は怖いな、私はひたすらそう思ったのだった。便宜的にカトリック信者になる人、イスラム教徒になる人、日本には本当に偽善者が多い、私はそういう感想を持った。

そう言えば昔、勝一氏のことを「変装して伊那谷を逃げ回っているチンケなオッサン」と評した某書籍担当者がいた。彼は今も健在だろうか?