身近にあるディープな体験

2010.07.31

英 語にせよ楽器演奏にせよ私は何ら特別な教育を受けていない。だが音楽は実質的に30歳を過ぎてから始めたために理解できない部分が多かった。一時期はIさ んという楽器店の店主から色んなレクチャーを受けた。強いて言えばこの人が音楽の師匠である。このサイトでも書いているように私は自分の兄が障害者である ことを別に隠したことはない。それがIさんの共感を生んだのかも知れない。私の周囲の人に言わせるとIさんは住んでるところから判断して「部落」の人だっ た。この人は犬が好きで、何匹も飼っていたが、時々「人間は裏切る。犬は裏切らない」と意味深な独り言を言った。

Iさんはアフリカ音楽の 理解者ではなかったがアメリカ黒人音楽は好きで、その部分では話があった。作曲志向の私とは音楽における方向性が全く違うので評価しにくいのだが、ドラム ス、ベース、ギター、キーボードを普通に演奏した。またサックスの練習もしていた。PCにおける音楽制作にも熱心だった。

ある日、この人 の楽器店にふらっと入ると「竹本さん、昨日電話したのにいなかったでしょう。すごく面白い話だったのに」と言った。この頃は翻訳の打ち合わせなどで家にい ないことも多かった。「何があったんですか?」と聴くと非常に面白い話をしてくれたので今回はそれを書いてみよう。

Iさんは楽器店を経営 しながらコンサートでのPAの仕事もしていた。前日に防府市の沖合にある離島での仕事を依頼されたという。この時、依頼主はタヒチの音楽家と言ったらし い。ところが防府市の港に行ってみるとタヒチではなくハイチのバンド、ブッカン・ギネだったという。私がハイチ音楽好きなのを思い出したIさんは私の家に 何度も電話をかけてくれたらしいのだが私は留守で、その内に渡し船の最終便が出て連絡をあきらめた。

ブッカン・ギネというのはラシーヌ (racine)と呼ばれるハイチの音楽運動の中から出てきたバンドだ。ラシーヌは英語で言うルーツなのだが、voodooを中心にしたアフリカ的な部分 とモダンでジャズ的な部分の両方を持つバンドだった。何故か防府の沖合にある離島の役所は村おこしとしてハイチのバンドを呼んだ。恐らくプロモーターにだ まされたのだろう。何故ならブッカン・ギネの音楽はとても普通の日本人の共感を呼ぶものではないからだ。

ところでブッカン・ギネのコン サートは島の祭りの余興であり、コンサートが終わるとすぐに島民全員参加の盆踊りが始まったらしい。この盆踊りの太鼓をブッカン・ギネのメンバーが叩いた とIさんは言った。「あんなにノリのいい太鼓は聴いたことがない」とIさんは言った。何せ瀬戸内海の離島なので周囲は真っ暗である。その中でブッカン・ギ ネの連中がハイチなまりの太鼓を叩き、島民は普通に盆踊りを踊ったという。

正直言うと私はこの手のディープな体験が大好きなので、この盆踊りに参加できなかったことは今でも残念に思っている。ハイチの首都ポルトー・プランスでは夜になると山から太鼓を叩いている音が聞こえてくるという。それはvoodooの儀式と関係しているらしい。

ブッカン・ギネは見逃したが別にアフリカに行かなくても、ディープな体験は日常に転がっている。運が良ければアナタも出会うこともできるだろう・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=HXXMSc2QaXE

上の曲はZsheaというハイチの女性歌手のプロモ動画だ。正直、後半の部分は私も気味が悪いのだが、音楽は素晴らしい。特にTi Polis(ポリおじさん)のギターがナイスだ。