日本経済新聞に対する「私の思い」
2010.08.16
1980年、私が大学を卒業する時、日本経済新聞の就職試
験を受けた。最終面接まで残った。これは驚くべきことだった。何故なら、それまでは一次面接・試験で全て落とされていたからだ。何故なら私は、身上書にお
いて兄の障害歴を隠さず書いたために一般企業にも政府・痴呆政府にも全く相手にされなかったからだ。
当然、私は非常に高い期待を抱いて日
本経済新聞最終面接に臨んだ。ところが、この場において日経社長、役員他の面接委員が私の兄の障害を笑いものにした。冗談ではなく本当に大声で笑ったの
だ。何故、彼らは笑ったかというと私が「兄はスポーツも勉強もできました」と発言したからだ。
これは嘘ではない。姫路市立増井中学の竹本
明(私の兄)の記録を見ればわかるが全科目で5を取りなおかつテニス部の主将をしていた。つまり私は事実を述べただけなのだが、魂のレベルで腐り果ててい
る日本経済新聞社長以下役員は私が見え透いた嘘を言ってると考え、私と私の兄をみんなで笑い、侮辱し、障害者差別意識をむき出しにした。
日
本のマスメディアはここまで腐り果てているのかと私は呆れ、同時に大きな心の傷を負った。その後、15年近くうなされた。夜中に誰かが大声で叫んでいるの
に気がつき目が覚めた。それは自分が叫んでいるのだった。時には感情が昂ぶり、反射的に自分の舌をかんだ。血の「にをい」と痛さで目が覚めた私は、口内に
たまっている血のかたまりをはき出した。その跡は、今文章を書いているこの部屋のあちこちに褐色の血痕として残っている。
私は在特会のよ
うに暴力に訴えるような馬鹿げた行為をするつもりは全く無い。だが、日本経済新聞に関する限り、死ぬまで批判を続けるつもりだ。それはもはや理屈ではな
く、自分の兄と自分の存在を採用面接の場で嘲笑するという下品な経営陣を持つ日本経済新聞に対する「深く消え去ることのできない感情」があるからだ。
人間、必ずしも合理的かつ論理的に行動できる訳ではない。公安がマークすると言うなら、いっこうに構わない。何故なら私は暴力に訴える気は全くないからだ。私は日本経済新聞が行った暴挙を死ぬまで忘れないと言ってるだけだ(笑)。