音楽におけるサプライズ
2010.08.19
タカヒロ・マサルという日本人ダンサーがいるらしい。海外でかなり話題になっているというので早速、動画サイトで見た。
http://www.youtube.com/watch?v=_MGVTOHbglE
確
かにうまい、というか非常に高い運動能力を見せているのだが、私は正直、最後まで見るのが苦痛だった。何故かというと、タカヒロ氏の踊りは説明ができるの
だ。あ、ここは拍の裏から体を動かして次の拍の頭で止めてるなとか、ダブル・テンポでリズムを感じた後はハーフ・テンポに落とし、4/4を6/8に感じて
踊った後に定律的でないリズム解釈をしてるなとか・・・ 要するに身体の運動能力の高さは驚異的なのだが、その踊りのどこにも音楽的なサプライズが無いの
だ。我々、コンゴ音楽ファンはこういう踊りを良い踊りとは言わない。コンゴ音楽の踊りと言っても色んなスタイルがあり、これと決めつけることはできないの
だが下のジョリー・デッタ(Jolie Detta)のMassuはどんなコンゴ音楽ファンでも素晴らしいと思うだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=PjnQbD_wBc0
フ
ランコの名曲「マスー」である。ジョリー・デッタはオバサンのようなだみ声をしているが、この時(恐らく1987年頃のテレ・ザイールというザイール国営
TVの映像と思われる)、まだ18歳か19歳だったはずだ。年齢に似合わない妖艶な歌と踊りをしている。特に最後の4分から5分にかけてのバックのダン
サーと振り付けをあわせた部分が素晴らしい。明らかに何らかの部族に伝わる踊りをベースにしている。
では何故、私はジョリー・デッタの踊
りが素晴らしいと思うかというと、拍の裏でどうたらとかこうたらとか分析できない部分が多いからだ。つまり見てる人が予想してないところで腕を上げ、ジャ
ンプする。それは見ている人にサプライズをもたらす。サプライズがあると何回、見ても聞いても飽きない。これが我々、コンゴ音楽ファンの論理である。
一
方でそうしたサプライズがある音楽や踊りは気持ち悪いと感じる人がいる。実際、夜道を歩いていたら急に闇から手が現れた時のような、ある種の「ドス黒さ」
「怖さ」がある。そうした人にとってはタカヒロ・マサル氏のようなサプライズは無いが従来のポップスの枠組みの中で高い運動能力を示す踊りが見てて気持ち
いいだろうというのは私にも容易に想像できる。結局はサプライズがあることをプラス評価するかどうかである。
ところでジョリー・デッタは2008年に死んだらしい。1986年に18歳だったのだから40歳ちょっとの若さで死んだのだ。サイトによってはエイズを原因に挙げている。こうして優れた歌手・ダンサーが国際的になんら評価されることなく消えていく。残念な話だ。
しかし、この映像で見られるジョリー・デッタの輝くばかりの美しさと豊かな表情は驚異としか言いようがない。しかも18歳である。
えっ、アンサン、どないだ。18歳ですぜ、18歳!わたいもな、四国からお店に丁稚奉公に来てはや30年、いまや番頭はん、番頭はんと言われるようになったが、こないな話は(以下、フェード・アウト)