市民ジャーナリズムはプライバシーの切り売りであるべきだ
2010.08.23
http://www.pjnews.net/
というサイトがある。市民ジャ−ナリズムを標榜されているらしいのだが記事がちっとも面白くない。
1.PJ記者がそれぞれ記事をもちよるために「紙面」に統一性がない
2.客観的に事実を列挙すべき記事に主観が入っている
3.アル中闘病記のようにありふれた題材の場合は、当然、文章力で読ませるしかないのだが、その力が無い
こ
うした点が不満である。ではpjnewsはどうしたら良いのか?プライバシーの切り売りをすれば良いのだ。個人が巨大取材網を持つ新聞に勝とうという段階
ですでに無理がある。何故なら新聞には膨大な情報が集まってくるからだ。そうした新聞記事に対抗するためには何か経済学といった専門分野を持ち、その分野
での評論に限定するか、あるいは私がやってるようなプライバシーの切り売りをするしかない。
最近、どういう文章が読まれているのかアクセ
ス記録を元に調べたが、高槻第6中学校で日教組から押しつけられた「高槻方式」という横暴、あるいは朝日新聞内部での労組のありかたを元に民主党は「赤い
貴族」により支えられているといった主張をした文章がコンスタントに読まれているようだ。
では何故、そうした記事が読まれるかというと私がプライバ
シーの切り売りをしているからだ。例えば高槻第6中学の件も中学ないしは高槻市教育委員会がきちんと記録を保存していれば簡単に確認できる。つまり、あえ
てプライバシーを切り売りして、細部にこだわる文章を書くことが文章の訴求力を増すのだ。
PJニュースで記事を書かれている市民記者の方
々は、新聞社の記事がどのような取材、校閲などを経て記事になっているのか恐らく、ご存じないのだろう。そうした分野で新聞社に勝つのはほとんど不可能で
あり、実際に私はそうした文章は書いてない。私が書いてる文章で読まれてるのは、自分のプライバシーを切り売りし、細部にこだわった文章だけだ。
残
念ながらプライバシーの切り売りをしない限り、一般人が記事レベルにおいて新聞社に勝つことはできないだろうと私は考える。実際に新聞社の現場を見て知っ
てる私と市民ジャーナリストの認識は相当に違うようだ。繰り返すが、市民ジャーナリストが良い記事を書きたいなら「自分のプライバシー切り売り」をする以
外に道は無いと私は考える。
あなたが市民ジャーナリストである時点ですでに限られた情報へのアクセスしかできないというハンデがある。よっぽど自分の文章力に自信がある人でない限り、既存メディアに勝てないだろう。