熱帯のリズムはなぜ熱い?
2010.09.01

(下の文章は2003年頃に書いたものに加筆しました)

大雑把な言い方をすると熱帯の音楽は熱く体を動かすものが多く、寒い地域の音楽は静的である。

ずいぶん昔に亡くなられたが小泉文夫さんという民族音楽学者がいて、NHK−FMで「世界の民族音楽」という番組を持たれていた。この番組はおもしろくはなかったが、世界の民族音楽を理解する上では大変参考になった。

あ る時、小泉さんがエスキモー(現在はイヌイットと呼ぶ)の音楽を紹介された時に、興味深いコメントをされた。「彼らの住んでいる地域は大変寒いので、体を へたに動かすと寒いから体を動かさない、だからリズムの躍動感がない。後、日本の東北地方もそうですが口を開けると冷気が入り寒いので少ししか口を開けな い。だから歌に抑揚がとぼしく単調に聞こえる」

これは正確な引用ではないのだが、主旨はこういうことを言われた。ずいぶん「率直なコメント」だが私もイヌイットの現地録音の歌を聞いて同じ印象をもった。乱暴な説明だが、やはり熱いと動いて踊ったりタイコをたたいたりする、それは世界中の音楽に共通していえると思う。

唐 突に話は変わるのだが、70年代、私は無知だった。今もたいして変わりないが(笑)。音楽はどんどん新しくなり良くなっていくという「音楽進化論」を信じ ていた。だがコンゴ音楽を聴き、彼らの演奏を分析する内に正反対の結論にたどりついた。つまり、昔、我々の先祖は素晴らしい音楽感覚を持っていたのだが、 時の流れの中でそれは変質し失われたと考えるようになったのだ。

ミトコンドリアというものがある。イタリア料理とは関係ない。人間の DNAの中に含まれる残滓のようなものだ。これを調べた結果、地球上の人類は全てケニアで発掘された女性の子孫だという考えが一般的になった。この女性の 骨に含まれるミトコンドリアと現在の人類のミトコンドリアが一致するからだ。イブ仮説という。

人類がアフリカにいた頃、全ての人は素晴ら しいリズム感と美しいハーモニー・センスを持っていたと私は考える。だが、アフリカを離れ北に向かった連中は、北の寒い気候の中で徐々にそうした音楽感覚 を失っていった。特に音楽において最も重要なリズム感を失っていった。寒いと体を動かしたくないからだ。たくさん衣服を着込むからだ。

アフリカの中でも民族の移動があり「音楽センス」は変質していった。ところがコンゴ人だけは違った。原始のジャングルと共に、彼らは昔の人類の音楽センスを頑固に守り抜いた。それが現代的な音楽としての形をとったのがコンゴ音楽/リンガラだと思う。

何故、私はコンゴ音楽ファンであり続けるのかを私自身はこのように分析している。