誰が本当の議論の勝者か?
2010.09.02
池田信夫氏と言えばネット上では超有名人だ。新自由主義を標榜されておられるから本来は私とスタンスが近いはずなのだが、あまりに難しい表現が多く、正直なところブログはほとんど読んでいない。経済学用語を正しく使われているだけなのだが・・・・
私は新自由主義的な講義を大学で多く受けゼミでも習んだが、そこでは常に競争の促進とセーフティー・ネットの充実が同時に行われるべきだという主張がなされていた。ところが池田氏の主張に
はそうした視点が抜け落ちて、ミルトン・フリードマンが一番勢いのあった頃のような過度の市場万能主義が見られる。強いて理屈をつければそこに違和感を感じる。
と
ころで私は時々、日本の経済学用語は変だと思う。例えば、今は円市場での非不胎化介入が議論されている。これは胎化介入と呼べば良いだろうと私は思う。元
々は、マネー・サプライを増やさない、つまり通貨市場に介入した資金をまた吸い上げるタイプの介入があり、これを不胎化介入と呼んだ。対していわゆる伝説
の日銀砲は円を売りドルを買ったままにして、そのドルで米国債を買った。この時に日本の外貨準備は大きく伸びた。決して貿易黒字で伸びたのではない。それ
が非不胎化介入なのだが、非不胎化介入=胎化介入であり、何故わかりやすい表現を使わないのか私には理解できない。
池田氏のブログの内容
が「難しすぎる」のは私がアホだからという事でおくとして、私は池田氏のお歳に似合わない燃える闘魂を尊敬している。
勝間和代氏や上杉隆氏との論争のことである。勝間和代氏との論争では池田氏は負けたというネット評が多い。上杉隆氏との論争に関しては、池田氏が勝ったと
いう人もいれば上杉氏の圧勝と見なす人もいる。論争において、どちらが勝ったかを判断するのはなかなか難しい。実は私はずっと、こうした論争における勝ち
負けの見分け方について考えてきたので、ここで書いてみたい。
A
氏とB氏が議論をしたとする。A氏がB氏の主張のおかしい部分をきちんと指摘してもB氏が頑としてこれを認めず「どうして、そういう言いがかりをつけるん
ですか」とか「そんな風に考えるなんてAさんは異常なんじゃないですか、もしかしたらネット右翼ですか」とか、自分の主張には何ら誤りがないという「不誠
実な姿勢」を取った時にA氏がB氏を負かすのは非常に難しい。
逆にそうした論争を続けていると、どうしてもどこかで主張の整合性が無くな
る。もしB氏が、それを見逃さず「Aさんは今、こう言われましたが、それは過去のコレコレ発言と矛盾しているじゃないですか」と指摘した場合、A氏が誠実
な人であれば「この点においては勘違いがあった」と間違いを認めるだろう。これがTV討論であるなら、この時点で視聴者はB氏の「勝ち」と考える。
こうなると議論に勝つことと、議論の内容の正しさは全く関係が無くなる。特に会話の中で「インターネットは実社会のインド象ですよね」とか唐突に言われると、何のことかさっぱり判らずうろたえてしまい、やはり「議論に負けた」と見なされてしまう。
私
が高校生の頃に読んだディベート戦略に関する本(当然、翻訳本)のなかでは上手に嘘をつくことも議論で勝つ手段の1つだと教えていた。例えば、「ナポレオ
ンが言ったように、多くの選択肢を残すことが外交上ベストな戦略ですよねえ」とか主張するのである。本当にナポレオンがそんな発言をしたかどうかは問題で
はないのである。何故ならナポレオンは膨大な発言をしており、それを全て覚えている人はいないからだ。そういう確認不可能な嘘を言うことで心理的に優位に
立ち、議論に勝てとその本は主張していた。それは詭弁なのだが高校生の私はずいぶん感心した。
上記は外交にも言えて、不誠実な相手に議論で勝つことは極めて難しい。北朝鮮のことを言ってるのだが・・・
冷
戦時代のソ連最高指導者フルシチョフは交渉の中で、いきなりナイフを抜きテーブルに刺したという。そういう外交交渉もあったのだ。これに対して、日本人外
交官が日本刀で斬り返したために大きな外交問題になり、日露戦争に発展したことは一部の歴史愛好家の間ではよく知られた逸話である。
さて、酒を飲んで音楽を聴いて寝るか・・・
ピース&ラブ