記者の連中が吸う甘い汁
2010.09.14
私の広告営業としての最初の仕事は三
重県の観光だった。最初に訪問したのは賢島にある志摩観光ホテルだった。私は、このホテルの売り物は料理であることはわかっていたので、黒い背広にサング
ラスをかけたままレストランに入り「アワビのステーキと伊勢エビのスープ」を注文した。他にも何品か注文したがメインは上記の2つだった。
や
がて料理が出てきた私は、押し黙ったままアワビのステーキと伊勢エビのスープを食べた。アルコールは一切、注文してなかったので時々、天井を数秒見上げた
り、窓の外を見たりした。驚いたことに志摩観光ホテルのシェフである高橋さんが私のテ−ブルにやってきて「お気に召しましたか」と聞いた。私はびっくり仰
天し「美味しくいただきました」と答えた。どうも高橋シェフは私のことをミシェランか何かのスパイだと思ったらしい。確かに平日の昼間にスーツ姿で一人で
来て、ホテルの最高料理ばかり注文する時点で十分、怪しかった。
料理を食べ終わった後に、志摩観光ホテルの広告担当者と会った。確か副支
配人だったと思う。私が「美味しい料理だった」というと相手は驚き、これまでウチの売り物の料理を食べてから広告募集にきた人はいませんといった。そのせ
いかどうか、副支配人は私を連れて志摩観光ホテルの敷地を端から端まで案内してくれた。軽く2時間は超えていたと思う。この最初の広告募集は数万円の持ち
出しになったが、それなりに有意義な体験だった。
ところで三重県の美食で一番知られているのは松阪肉ではないかと思う。松阪肉というと相
当に誤解があるのだが、基本は神戸牛である。それを子牛の段階で松阪に連れてきて、独特の育成をしたのが松阪肉である。現実を見るならば、松阪肉を出して
いるのは和田金だけであり、和田金の牛は和田金牧場という郊外の牧場で育てられていた。牛銀というお店もあったがあまり良い個人的な印象はない。和田金で
は、和田金牧場で育てた牛のモツは出さないのだが、それを専門に出している秘密のお店があり、こちらは相当に繁盛していた。開高健さんも激賞されていたと
思う。
この和田金は三重の観光における中心の1つであり、当然ながら私は何度も訪問していた。その和田金が店舗の大規模改装をするために
1ヶ月以上、閉店した後に、新規開店をした。その頃、私はすでに三重担当を外れていたのだが、後任と話し合い、日曜日(新規改装日)に食べにいこうではな
いかと提案した。男は望むところであると言い、我々は日曜日の早朝、近鉄特急にのり松阪に向かったのだった。
和田金は新規開店をほとんど
宣伝してなかったのでお店は割と空いていた。ある和室に入った我々は、お品書きを見ていたのだが、そこに書いてあるメニューは非常に少なかった。我々は
戻ってきた仲居さんに「このメニューに書いてある料理、全てをいただきます」と言った。仲居さんは若干、青ざめた顔をして「かしこまりました」と言って引
き下がった。
それから3時間かけて我々二人はお品書きにある料理とアルコールの全てを味わった。さすがに、そろそろ名古屋に帰る時間に
なったので我々は会計に向かったのだが、会計の女性は「今日は新規改装にあわせておこしいただき本当にありがとうございます」とだけ言い我々が差し出すお
金を全く受け取ろうとしないのだ。その内に和田金の専務が出てきて「普段からお世話になっておりますので、今日は食べに来ていただいただけで感謝しており
ます」とか言われるのだ。我々二人が「ただ美味しいものを食べに来ただけで取材でも何でもないんです」と何回も説明したのだが、専務さんはひたすら頭を下
げ、我々は押し出されてしまった。
こうした形で広告主に借りを作ることは絶対するなと我々は上司に教えられていた。当然ながら帰りの近鉄
特急の中で言い争いがおきた。私が「オマエが物欲しそうな顔をしてるから、こんな事になるのだ」と指摘すると相手の男は「竹さん(私のこと)こそ、みすぼ
らしい服装をしてるからだ」と主張した。
確かに私はジーンズにTシャツだったが、このTシャツは8000円位する割と高いTシャツだっ
た。キンシャサに行った時も着ていたのだが、いつも「オマエのTシャツはキレいだ」と言われた。コンゴ的文脈だと「私のTシャツが綺麗=オマエのTシャツ
をオレによこせ」となる。実際、オーティス・コヨンゴンダというドラム奏者と話をしている時に彼が何回も私のTシャツをほめるので1枚プレゼントしたこと
もある。
で、結論として言うと、編集や記者の連中は年柄年中、こうした特別扱いを受けているのです。記者の連中が特権意識を持つのも無理ないと思いませんか(笑)。