コンゴ音楽とブラジルはどう、つながったか?
2010.09.15
(この文章は2003年頃に書いたものに加筆しました)
ここでは純粋にビジネスとしてコンゴ音楽及びそのファンとブラジルとの関係ができたかを私の知る範囲で説明したい。ここでのキーワードはスターンズである。
ス
ターンズというのはご存知の方も多いと思うが、世界最大のアフリカ音楽専門店である。コンゴ音楽だけに限ればブリュッセルのムジカ・ノヴァというお店の方
が品揃えが良かったかも知れない。このスターンズの初期、80年代から90年代頃まではちょうどコンゴ音楽が非常に人気があった頃で、90年代までのス
ターンズはコンゴ音楽で商売をしていたといっても良いだろう。
ところでコンゴ音楽のレコードのほとんどはパリのエディション(日本でいう
レーベル)が制作している。しかも小さなところが多い。私のルンバ友達マーチン・シノック(偉そうに書いているがマーチン自身がラジオ番組で私のことを
「日本のダチ」と呼んでるから私も遠慮なく友達と呼ばせていただく)はフランス語でDJができる仏語の達人であり、リンガラ語(コンゴの公用語)も相当で
きた。しょちゅうパリやブリュッセルに行き新譜を買ってはスターンズに仕入れのアドバイスをしていた。昔のスターンズが発行していた、くすんだ紙
の雑誌トレードウインドを愛読されていた方ならうんざりするほどマーチンの文章を読んだことだろう。
と
ころで幾人かいるスターンズの創設者の一人ロ
バート・アーバナスさんは実はオランダ人で英国人ではない。だが奥さんが日系ブラジル人のせいか、多くの日本のコンゴ音楽ファンがお世話になった。私は面
識がないが。そのロバートさんがロンドンの寒い気候に嫌気がさし、奥さんの故郷サン・パウロに移ったのは90年代末だった。当時の店員デーブに言
わせると、寒い冬はブラジルにいて夏はスターンズNY支店の担当をしていたという。
ところが折からクラブ・シーンでブラジル物がおおい
に盛り上がり、スターンズの正式なブラジル支店ができた。ロンドンから送ってくるアフリカ物をブラジル人に、サン・パウロで仕入れたブラジル物を
世界へ供給というルートができたのだ。とうとうスターンズ・ブラジルという独自レーベルまで作り配給を始めた。さらにロバートさんの母国オランダは昔から
ブラジル音楽ファンが多い国であり、オランダ経由で大陸のブラジルものも配給しだした。最近(2004年頃?)、クラブで人気のあるZUCO103などである。
と
いうわけで絶滅寸前だった我々コンゴ音楽ファンは知らぬうちにクラブ・シーンの準インサイダーとなってしまった。うらやましいという人もいるかも知れぬ
が、何がなんだかよくわからないというのが本音である。ところで肝心のコンゴ音楽はどんどん盛り下がり、最近は新譜すらあまり出ない状態となっ
た。
私のような元々ボサノバ・ファンはともかく他のコンゴ音楽ファンはスターンズの変身をどう感じているのだろうか?