日本人の感情表現の問題点
2010.09.20

例えば、60歳以上の日本人が黒い リズムにあわせて手拍子を叩いても、踊っても全く様(さま)になりません。彼らは「永遠のロック魂」がウンタラ、カンタラとか説教をするだけです。対して 日本の若い世代は、無理せずにリズムに合わせることができます。これはリズム解釈の根本的な違いがあるからです。

年配の人は音がドンと鳴 るのが音楽開始のサインだと思ってます。これは日本の音楽に関してはその通りなのですが、現在、主流の黒人音楽に影響を受けた音楽はそうではない訳です。 例えば、ドラムスのスネアがバンと鳴る、それは実はあるリズム・サイクルがそこで終わった結果としてバンと鳴る訳です。ですからバンと鳴ったら、そこをリ ズムの開始点と見なして=カウントを開始して、次のリズムの終着点に向かい、体を動かすのがポップス的に正しいのです。いくら団塊の世代が「永遠のロック魂」を言 おうと、音楽が理解できてないという根本は全く変わりません。

上記の問題はそれほど大きな問題ではありません。何故なら音楽なんて聴かな くても十分、生活できるからです。問題はむしろ日本人の感情表現にあると思います。それは反転しないのです。「つらい、悲しい、あなた恨みます」的なマイ ナーな部分と軍艦マーチ的な糞陽気な部分の中間が無いのです。それは世界的な標準で見ると滅茶苦茶、不自然です。

例えば、黒人ブルースが 「つらい、苦しい」とうめくばかりかというと、そんな事はありません。ほとんどの曲はどこかで陽転します。逆に明るい曲はどこかで陰転します。それが自然 なのです。何故なら、人間の暮らしには必ず陽と陰が混ざっているからです。逆に言えば日本の曲のように感情が途中で陽転も陰転もしないのは異常なのです。 人間は必ず、感情が陽転し陰転するものなのです。

私は20代のはじめに、これに気がつきました。それ以来、激しい議論をしていても、わざ と(笑)下品なジョークを入れて雰囲気を変えたり、あるいは陽気な宴会でブラック・ジョークを言うようになったのですが残念ながら、これは全く理解されま せんでした。反応は幾通りかあります:

1.竹本は不真面目である
2.竹本は性格が歪んでいる
3.竹本は精神異常である

こんなところでしょうか。それはそれで社会の評価ですから受け入れざるを得ませんが、こちらの真意は違うわけです。

つ らい、苦しい、悲しい、そんな感情ばかりの生活はありえない。何故なら、そういう生活には生きる喜び(joie do vivre)が無いわけですから、当然該当者は死を選びます。生きる喜びがない状態で、生活がつらく、苦しく、悲しいなら死を選ぶことに抵抗が無いからで す。強いて言えば、DNAレベルで刷り込まれている「死への恐怖」が自殺を妨げるでしょうか。逆もまた真であり、栄華の頂点にあっても悲しみや苦しみはあ る訳です。

そういう感情表現が未だにできない、未だにプラス評価できないというところに私は日本人の限界を感じるのです。ただ、これも若い世代では異なっており、結局、日本の問題全ては老人支配、老人が甘やかされていることにつきると私は考えます。

今、日本で一番、必要なのは老人教育でしょう。老人に社会の理(ことわり)を理解させる事が重要なのです。