利息にひそむ悪魔
2010.09.21

ネズミ講は法律で禁止されている。人間の数 が有限である以上、どこかで破綻することが確実だからだ。しかし利子、特に複利の悪魔性に関しては法的規制は緩い。一方、現在日本社会で多くの人が借金で 破綻しているが、その理由は一度消費者金融レベルの高い利子でお金を借りると借金が加速度的にふくれあがっていくからだ。この複利に潜む悪魔性に大昔、気 づいた人たちがいた。イスラム教徒である。以下、下記のサイトから引用する。

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83
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イ スラーム文化における経済は、それ自体「イスラーム経済」の名で呼び考察するに足る。ただし特別な経済体制があるという意味ではなく、「アッラーの御心に かなう経済」ということである。イスラームの経済価値の根本には、『この世は神が作った世界であるから、世界のすべて(人もモノも金銭も)の所有権は神に ある』というムスリムの思想が存在する。無利子の金融の他に、イスラーム経済の特色と言える要素として、喜捨(ザカート、サダカ)などがあり、イスラーム 銀行はそれらも背景にしている。

(省略)。シャリーアの規定に則って無利子の金融をおこなう「無利子銀行」が初めて試みられたのは、1950年代のパキスタンにおいてであった。このころパキスタンでは、イスラームの教義を国家運営に適用しようとする動きが強まっていた。

(省 略)。現代の世界金融市場の主役の一つとなっているヘッジファンドや、先物取引のような金融システムは、イスラームにおいては基本的に認められない。イス ラーム銀行の立場としては、実体経済と遊離したデリバティヴ(金融派生商品)は「言語道断」であり、同時に先物取引もクルアーンにより(胎内にいる子の価 値を見越して母ラクダの売買をしてはならないという規定により)禁止されている。

(省略)。(アメリカ主導の)規制のゆるやかな「自由競 争体制」こそが、むしろ特異な状態と言えるのかもしれない。いっぽう現代イスラーム圏の人々は何故無利子経済体制を選んだ(選びつつある)のか。ヨーロッ パも、中世には旧約聖書から導かれる利子禁止(制限)規定が、表向きなりとは言え社会を覆っていた点においては同様である。それがなぜ、ヨーロッパでは利 子つき金融が、それも複利計算のもとに認可されてその後の経済発展の基盤を築いているのに対し、イスラームの諸国では近現代に入って逆に、それまで見過ご されて来た利子つき金銭貸借が、シャリーア(イスラーム法)の厳密な適用によって排除されようとしているのかについての検討が必要である。

引用終わり

こ こにテロにつながる解消し得ない「違い」が存在する。日本の事情も同じと考える。江戸時代の大名貸しそのものが悪いのではなく、そうした借金が複利により 膨れあがり、処理しようがなくなったことが問題なのだ。だから明治維新で大坂商人から借りていたお金を踏み倒すという荒療治が行われた。その後、日本人は イスラム金融的考えをするようになり金貸しは汚いという固定観念の元、日本的社会主義に走る。戦後の日本だ。

だがそれはバブル崩壊後、弱 点をさらけ出し国際金融資本やヘッジ・ファンドの食い物になる。膨大なお金を費やした後に日本的社会主義は破綻する。利子、特に複利の悪魔性というのはそ の通りだが日本人はあまりに「原理主義」に染まった。ここで強いて悪者をあげれば日本型社会主義を「善」として積極的に推し進めた政治家、官僚とマスコ ミ、進歩的文化人(笑)だろう。結局、つけを払うのは国民であり、政治家、官僚でもマスコミでもないのだから好きなように言えた訳だ。

明治維新で貸してた金を踏み倒された大坂商人とその家族の悲哀は決してTVドラマにならない。それはならない必然的な理由があるからだ。