天才は凡人に奉仕する
2010.09.21
(昔、書いた文章に加筆しました)
以
前、サンタナのアメリカでのインタビュー記事を読んでいたら「キャラバン・サライ」というアルバムを出した後、ボブ・クリアマウンテンという非常に有名な
プロデューサーから「君がやってることは音楽的自殺だ」と言われたという記述が出てきた。キャラバン・サライは実際、売れなかった。そしてグループとして
のサンタナは以前のロック路線に戻る。最もキャラバン・サライは当時サンタナ内部で音楽プロデューサー的役割を果たしていたマイケル・シュリーブの構想
だったような気がする。
ところで個人的にサンタナの曲で一番好きなのはこのアルバムに入っている風の歌"The Song Of
Wind"という曲だ。このサイトにおいているSamba Para
Carlos(残念ながら、この曲の音源を逸失したために現在はアップしてない)もはっきり言って風の歌のパクリである。しかし私は何ら罰則を受けること
なく平然と暮らしている。何故か?それは風の歌の美味しい部分が全く法律により保護されてないからだ。まず風の歌の美味しい部分=革新性を挙げてみよう。
1.サンバとサルサと言う水と油のように異なるリズムを統合している
2.ギターの歪んではいるが甘いというそれまでに無かった音色
3.Cmaj7とFmaj7という当時のサルサでは考えられないコード進行
4.サルサ+サンバというリズムの中でのドラムスとコンガのコンビネーション
主
なところはこの4つだと思うが、この4点は全く法律による保護を受けていない。まずリズムは絶対、法律保護の対象にならない。ギターの音色は盗み放題であ
る。コード進行は著作権保護の対象外。ドラムスとコンガのコンビネーション・スタイルなど著作権団体は全く受け付けない。さらに言えばソング・オブ・ウイ
ンド、風の歌という曲名もあまりに平凡すぎて著作権保護の対象にならないと思う。つまりこの曲でカルロスは盗み放題、盗んでくれと言ってるに等しいのだ。
そして実際に「盗まれた」。だから音楽的自殺なのだ。決してアルバム・セールスが問題ではないと思う。何故ならキャラバン・サライの時点でサンタナは十分
にリッチでジャズ・グループに方向転換してもカルロスとしては困らなかったからだ。
同様な現象はジャズにも見られる。例えば現役のジャズ
奏者でビーバップの恩恵にあずかってない人はほとんどいないと思う。ところがビーバップという構想、要するにコードをアルペジオの形に崩してアドリブ・ソ
ロを組み立てることだが、これを生み出すのに最も貢献したチャーリー・パーカーは全く金銭的に報われることなく世を去った。28歳で餓死したんですが。
一
方でパーカーのソロを分析してアドリブ理論という形に「要約」した人たちはビジネス的に大成功する。いわゆるバークリー・メソッドである。確かにビーバッ
プはパーカーが一人で生み出した訳ではないが中心人物を一人挙げるとしたらパーカーだ。そのパーカーは何ら報われずパーカーの真似の仕方を体系的に教える
人間は成功した。
要するに音楽というビジネスにおいて天才は凡人に奉仕する為にのみ存在するのだ。何故かというと音楽の革新性は法的保護の対象外だからだ。何が法的保護を受けているか?
1.歌詞
2.楽譜にしやすいメロディー
3.場合によってはアレンジ
4.生オーディオが存在する場合、オーディオ
たった4点なのだ。つまり音楽における法的保護=著作権はさだ・まさしのような「大衆歌手」を対象としており、ビーバップを知的財産として認めるとかソンゴというリズムに著作権を認めるというような事は全く考えてないのだ。
キューバであれコンゴであれルンバ演奏者は貧しいが、それは実は法的不備が原因であり逆に言えば無数の「さだ・まさし」は法的に保護されすぎていると私は思う。