アメリカニズムの評価
2010.09.21
(この文章は数年前に書いたものに加筆しました)
アメリカ帝国への報復
チャルマーズ ジョンソン (著), Chalmers Johnson (原著), 鈴木 主税 (翻訳)
こ
の本が話題を呼んでいるようだ。最も私は読んでない、ただアマゾンの書評を眺めただけである。9月11日テロを予言しているこの本を賞賛するレビューを多
くの人が書いていた。そうした書評を書いた人はアマゾンがまさにアメリカ帝国主義の尖兵であることに気づいているのだろうか?さらに言えば私はアマゾンの
書評にどうやってたどり着いたかというとグーグルというやはりアメリカ資本の「検索エンジン」を使用してである。今、このエッセーを書いてるPCも「堅牢
性」で有名なウインドウズOSでCPUは目玉焼きも作れるインテルのペンチアムDである。さらに言えば著者もアメリカ人だ。アメリカ批判の書までアメリカ
人に頼らなければならないという皮肉に書評を書いた人は気づいてないようだ。
アメリカを切り捨てるのは簡単だが、それではどうしてここまでアメリカ基準が普及したか説明できない。世界最強の軍事力とかは色んな人がすでに触れているので、ここは視点を変えてアメリカニズムはわかりやすいから普及するという説明をして見たい。
長
島茂雄が引退した時に「巨人軍は永遠に不滅です」と言った。不滅というのは永遠を含むから同じことを繰り返した国語的には良くない表現だ。同様に馬から落
馬するという表現も学者に軽蔑されている。だがこうした表現は本当に無駄な悪い表現なのか、そういう疑問をずっと持っていた。私はこうした表現はむしろ優
れた表現と考える。何故か?それは文章が冗長であってもとにかく意味は伝わるからだ。
情報用語ではリダンダンシー
(redundancy)と言う。これは何かというと情報を送るときに情報が誤る可能性=送信/受信エラーは避けられない、なら最初から同じ情報を別の形
で送っておけばひとつに誤りが起きてもとにかく「意味」は伝わると言うものだ。ともかくある情報を正確に伝えるのが最も重要だという考え方だ。そしてそれ
はそのまま馬から落馬にあてはまると思う。馬が聞き取れなくても落馬が聞き取れれば意味がわかる。だが国語的にはそれは「悪い表現」とされる。日本という
国が長い間、他の民族と交流する必要がなかった為にそうした考え方が生まれたのだと私は思う。
アメリカはその反対なのだ。「この本は悪く
ない」と言う英国表現に対し「この本を愛している」というのがアメリカ表現であり、英語に強くない異民族にどちらがわかりやすいかは言うまでもないだろ
う。アメリカ会計基準なども他国の社会風土を無視したゴリ押し基準なのだが、ともかく分かりやすく透明性が高いように見える、従って他の国はそうしたゴリ
押しを避けられない。つまり、アメリカニズム=グローバリズムとなる素地はある訳だ。
だがアメリカが全てに分かり易いかというとそうでも
なく、例えばケネディー大統領暗殺関連のFBI書類が依然として封印されていたりする。そこらを考え出すとどのような陰謀論も可能だ。つまりアメリカの分
かりやすい部分は分かりやすい故にグローバル・スタンダードになる、一方でアメリカの本質的な部分はきちんと情報管理されており分かりにくいということす
ら分からないようにできている、ここに本当の大きな問題がある。
音楽においてもアメリカの音楽はラテンなどに含まれる複雑なリズム・ニュアンスを切り捨てている、だから分かりやすい、だから世界中で聴かれる。そしてその分かりやすさ故に我々、アフリカ系黒い音楽ファンはアメリカ音楽に対し軽蔑の念を抱く。
だが大きな潮れはすでに決まってしまったようだ。