クラウス・シュライナー氏との論争
2010.09.23
ブラジル音楽に特化したドイツ人音楽評論家クラウス・シュライナー氏と昔、論争をした。その時に書いた文章が出てきたので、一部手直しをしてアップする。しかし、昔から論争ばかりしてたんだなと自分でも感心する。なお、2000年頃の文章と思われる。
サンバがどうやってできたかに関してクラウス・シュライナー氏と簡単な論争をした。彼は「素晴らしきサンバの世界」の著者であり、本人もサンバの専門家を自認している。ご自分のハウス・レーベルも持たれている。
私
は、サンバがバイーアで生まれたことは間違いないが、現在のバイーアとサンバが生まれたころのバイーアは人口構成も民族構成も違うと主張した。私の主張
は、サンバは確かにバイーアで生まれたが、ブラジルの首都がリオに移された時にサンバを生み出したアフリカ系のブラジル人のほとんどがリオに移った。
バイーアに補充として入ってきたアフリカ人がどこの出身かはわからない。何故かというとブラジルが奴隷解放を行った時に、奴隷貿易の資料を恥ずべき文書と呼び、政府レベルでの焚書を行ったからだ。
だがブラジルに限らず奴隷貿易の歴史を見ると初期はコンゴ・アンゴラといったバントゥー系が多かったが、奴隷狩りにより人口が減ったために西アフリカなど他のアフリカ地域に広がったという事実がある。ここらは過去の文章で書いてる文典を参考にした。
つまりリオの音楽となったサンバを評価することと現在のバイーアの音楽を評価することは全く違うだろうとたずねたのだが、残念ながらはっきりした返事はもらえなかった。
シュ
ライナー氏の主張は、「サンバに最も影響を与えたのはアンゴラ人であり、その他諸民族の貢献があった。断定的な主張は不可能だ」というものだった。アンゴ
ラの影響は確かにある。ブラジルにサンバがあるように、アンゴラにはセンバがある。ブラジルにクイーカがあればアンゴラにはプイーカがある。
だ
が実際にアンゴラのセンバを聞かれたかたはすぐに気づかれると思うが、センバはむしろメレンゲに似たリズムである。実際に70−80年代のアンゴラの人気
グループにオス・メレンゲイロスがあったぐらいだ。このバンドに所属していたCarlitos Vieira
Dias氏はアンゴラ音楽の父と呼ばれる"Liceu" Vieira
Dias氏の息子である。フィリーペ・ムケンガなどの音楽を聴くと確かにはっきりとしたブラジル的雰囲気が感じられるのだが、それは逆にブラジルから輸入
されたのかも知れない。
もう1つ私がシュライナー氏に聞いたのは、コンゴにはサンバという名前の人がたくさんいるが、ヨルバ族にはそうした名前は全くない、アンゴラには少しある、そうした名前の由来(eponym)は考慮しなくていいのかである。
シュ
ライナー氏の回答は、現在のコンゴ音楽がキューバ音楽を吸収するところから始まったように、コンゴとヨーロッパの接触の中でサンバという名前がコンゴ人の
間に定着したというものだった。これはありうる話だ。だが、それではなぜ他のアフリカ諸国では定着しなかったのかと反論したが、もう返事がこなかった。イ
ンターネットが普及する以前のファックスでのやりとりだからしかたない(笑)。
アメリカの音楽学者ジョン・ストーム・ロバーツが"Black Music of Two Worlds"という名著で、こうした私の疑問に部分的に答えてくれている。残念ながら翻訳されてないが興味がある方はぜひ読んでいただきたい。