五木寛之の裏切り
2010.09.23
(この文章がいつの頃のものかは不明。まだ本を読んでいた時期だとすると、2002年頃か?)
私
は乱読家なので色んな作家が好きなのだが、五木寛之氏の本は昔、愛読した。北欧での体験、ジャズなどモダンな音楽の知識、ポルシェなどいかした車に関する
薀蓄。それらは実に新鮮で独自の美学にあふれていた。その当時五木さんは「私は枯れた老人には成りたくない、そういう日本的な老人ではなく死ぬまで生臭く
ありたい」と言われていた。五木寛之信者であった私はそれを素直に信じた。その当時私が考えていた晩年の五木寛之は、マリファナの立ち込める危ないジャ
ズ・クラブにポルシェで乗り付け両側にブロンド美女をおきながらジャズのビートに合わせ指を鳴らし気が向けば軽くタップ・ダンスも踊るというものだった。
今、五木さんはそうした生き方をされているだろうか?
色んな待合所やロビーなどに最近の五木さんの本が置いてあるがそれらは全て仏教説話
集と言って良いだろう。死ぬまで生臭くありたいと言われた昔の五木さんはどこに行かれたのだろう?人間、年を取り体力が衰え身内の人間の死に日常的に接す
るようになり、自分自身の死が確実な未来となると考えが変わるのだ、それ自体はおかしくはない。
ただ昔の五木さんの本の愛読者であり、五
木さんは独自の美学のある晩年を迎えられると信じていた私のような読者にとって、それは裏切りでしかない。仏教説話は結構だ、それはそれで読む人がたくさ
んおられるのだろう。だが、昔からのファンに対して「今の私は昔の私とは違うのです」という断りはいつされたのだろうか?「さらばモスクワ愚連隊」から
「大河の一滴」までに一貫性があるのだろうか?
そこで想い出すのが山田風太郎である。
山田風太郎は忍法帖という実に馬鹿
げた、しかし最高に楽しい小説を量産した。晩年にかけて少し作風が硬くなったような気がするが、ともかく読者に楽しんでもらえる小説を書いた。晩年、風太
郎はアルツハイマー病になり自分の余命を悟った。彼はそれをネタにエッセーを書き、自分の痴呆症状が進んでいくのを書き綴った。そして予告されていた通り
死を迎えた。
世間的あるいは文壇的には五木寛之の方がはるかに高い評価を受けている。実際、文学者としては五木寛之の方が上なのだろう。だが人間として見るとき、私には山田風太郎の偉大さばかりが目につくのだった・・・・・・
それとも五木さんは今の末法の世相を憂えるあまり、昔の読者から裏切り者と言われるのを承知の上で仏教説話をされているのだろうか?そこまで高い次元に到達されているなら私はもはや何も言うことはない、何故なら五木さんと私にはもう如何なる接点もないのだから。