アルジャーノンとレジ係
2010.09.25

「アルジャーノンに花束を」はよく知られる話となった。医学により超知能を得たハツカネズミがまた知能を失っていくという小説である。本当はもっと複雑なプロットだが、その部分は省略。

昔、私がよく買い物に行くスーパーの1つに、長身の若くて綺麗なレジ係(女性)がいた。オバチャンばかりの中で目立った。4年くらい前かな、日銀がゼロ金利を解除して、一時的に景気回復感が出た頃だった。

あ る日、偶然に、この人のレジに列んだ。そこが一番、空いていたからだ。彼女はノロノロとした動作で計算し、少し回らない舌で「4156円です」と言った。 私は5千円札と156円を出した。こういう出し方をするとお釣りは千円返ってくる。小銭がたまらなくていい。長年、スーパーで買い物をしていると、もは や、何も考えずに、そういうお金の出し方をするようになるのだ。

ところが彼女は私が出したお金を取らず、じっと見た。そして「これ多いで す」と言った。「いやだから、千円のお釣りをくれればいいんです」と私は言った。ところが彼女はまだ理解できないのだった。隣のレジ係と相談して、やっと 納得したらしく、私はレジをすますことができた。

彼女は軽い知的障害者だったのだ。私は何か悪いことをしたような気持ちになった。彼女が なまじ長身で若くて綺麗だから余計そう感じたのかも知れない。これからの数十年の彼女の人生、彼女の家族の人生を考えると、とても他人事とは思えなかっ た。まあ実際に他人事では無いのだが(笑)。ウチはまだ精神障害者と言っても男だから安心できる部分もあるのだが、彼女のように若くて綺麗ではな あ・・・・ 実際、状況と家族の判断で、ほとんど外出禁止、軟禁に近い暮らしをしている人も町内にいるようだ。詳しくは知らない。

日常生活のあちこちに考える事がある。そして考えてもどうする事もできないこともある。

こ のスーパーはもちろん障害者雇用の一環として、あまり戦力にならない彼女のような人を雇っていたのだが、その後の景気悪化にともない、彼女は解雇された。 別に彼女だけではなくオバチャンのレジ係すらも減った。最近はレジ係に若い普通の女性を見ることが多い。「あなた達がレジを打つべきではない」と私は言い たいのだが、では代わりに何があるかというと何も無い。

これもまた救いのない話だ。

追記

何故、オマエは 彼女が知的障害者とわかったのだと言われるかたがいるかも知れない。眼である。眼に知性の輝きが無かった。これは別に文学的な表現をしている訳ではなく、 精神科医の多くは初診者の眼を見れば、その人の病気がある程度わかると言う。医学的に言えば、眼は脳の一部が露出した部分だから、当然ながら脳の状態が眼 に現れる、それだけである。