「海の上のピアノ弾き」から黒人を考える
2010.09.25

(2004年頃の文章に加筆しました)

「海の上のピアノ弾き」という映画があったらしい。私は存在すら知らなかったが、この映画に関しておもしろい意見を見つけた。

引用

即 興演奏を得意とする、娼婦宿で生まれた黒人ジャズの代表としてジェリーロールモートン(創世記のジャズピアニスト)が出て来た。主人公のクラシカルな演奏 の超絶技巧の前に破れ、這這(ほうほう)の体(てい)で黒人ジェリーは逃げ出すのである。その逃げ出す姿を見て、友人の「ジャズをしなきゃ食えなかった」 白人トランペッターが「あいつ逃げてくぜ」と言ったら、白人の主人公は「Fuck Jazz, too] (くそジャズも一緒にね)と吐き捨てたのである。つまり、ジャズの発祥と全盛の時代にもひとりの天才白人クラシックの「即興」プレーヤーがいた のである。クラシックの本当の天才にかかれば、ジャズなどおてのものであり、即興もまた「伝統の重み」が違うのである。

引用終わり

要 するに優れた天才クラシック奏者にかかればジャズのアドリブなどたやすいというご意見らしい。しかし逆に言えば本当の天才ジャズ奏者にかかればクラシック の超絶技巧などたやすいはずだ。何故なら天才とはそうした大きな壁を楽々と乗り越える人たちを指す表現だからだ。もしジャズ奏者にはどうしてもできないと いう意見なら上の文を書いた方は人種差別主義者だろう。

黒人ジェリーは逃げ出したと書かれているが逃げたということは負けたと解釈して良 いだろう。ところで音楽での勝ち負けとは何だろうか?例えばキューバのチューチョ・ヴァルデスとロシア出身のブーニンがピアノで争ったとする。もしクラ シック曲をどれだけ「上手に」弾きこなせるかならチューチョに勝ち目はない。何故なら「上手」の基準そのものがヨーロッパ的感性と基準に基づいているから だ。チューチョの演奏はエキゾチックな解釈とコメントされるだけだろう。

一方でコンガとカウベルがソンのリズムを刻む中で自由なアドリブ をさせてブーニンはチューチョに勝てるだろうか?恐らくオクターブ奏法やブロック・コードすらできないのではないだろうか?リズムのノリとかは可哀想なの で触れないとしても。要するに音楽の判断基準は無限にあり、そこに勝ち負けを持ち込むほうが異常なのだ。

ところで、上記映画の解説を読んで黒人とは何かについて考えさせられた。海の上のピアノ弾きは白人だが捨て子にされたのを黒人に拾われ育てられたという設定になっている。この人をただ「白人」と呼んでいいのだろうか?私は大きな疑問を持つのだ。

日経から引用

米 証券最大手メリルリンチは22日、デービッド・コマンスキー会長兼最高経営責任者(CEO、63歳)が12月2日付でCEO職を退き、後任にスタンレー・ オニール社長兼最高執行責任者(COO、50歳)が昇格する人事を発表した。米証券大手では、初の黒人トップの誕生となる。

引用終わり

こ のメリルリンチの新社長のインタビューと顔写真が日経に載っていたのでじっくり見たが、明らかに半分は白人の血が入っている。白人と黒人の混血児は黒人な のか、この疑問はずっと私の頭を離れなかった。ある時、白人アメリカ人男性に聞いてみた。彼は答えにくそうな苦しげな表情を浮かべた後、白人と黒人の間の 子供は白人でも黒人でもないし白人でも黒人でもあるという模範解答を返した。ところでスタンレー・オニール氏は顔立ちを見る限り明確に混血だ。何故、その オニール氏が「初の黒人トップ」となるのか?その理由は簡単でアメリカ社会がオニール氏を黒人として扱うからだ。つまり「黒人」というのは必ずしも人種で はないのだ。私は以下のように分類している。

1.人種的黒人
2.文化的黒人
3.社会的黒人

1.の人種的黒人は良いだろう。いわゆるブラック・アフリカに住む人だ。あるいは他地域に移住した末裔だ。

2. の文化的黒人というのは私が勝手につけた名前だが、要するに人種的には黒人/アフリカ系でないがアフリカ文化を共有する人たちだ。John Storm Robertsの本にも外見は普通の白人なのだが村の共同体の中では黒人として扱われている人が紹介されている。身近なところでは日系アメリカ人の多くが そうだ。

例えば、ヒロシマというフュージョン・ジャズ・グループのサックス奏者やヒップ・ホップ・グループ、グルーブ・コレクティブのド ラマーなどで、外見は普通の日本人男性だが演奏は黒人的だ。何故かというと、第2次大戦中日系アメリカ人は財産を没収され強制収容所に送られた。戦争終了 とともに自由にはなったが財産は戻ってこなかった。しかたがないので彼らは最も家賃が安いスラム地域に移りアメリカ社会の最底辺から再スタートした。そう したスラムに住む日系人の子供達はアメリカ黒人の子供達と一緒に遊び彼らの文化を身につけた。黒人文化を子供の時から身につけている訳だからある意味では 彼らも「黒人」だ。私は文化的黒人と呼んでいる。ただ文化的黒人はアメリカ社会では黒人として扱われない。

3.の社会的黒人というのは外見は黒人+白人であり実際に家系を見ると白人他の血が入っているのだが、社会が黒人として扱うために人種的分類を無視して「黒人」とされている人たちだ。上に書いたメリルリンチの新社長スタンレー・オニール氏が良い例だ。

海の上のピアニストに戻れば、彼は人種的に白人で文化的に黒人と考えるべきだろう。アメリカにおいて「黒人」がきちんと法的に定義されてないことが黒人差別問題を難しくしていると私は考える。