冷戦が生み出したアフリカのバブル
2010.09.27

かつてコンゴがザイールと 呼ばれていた頃、大統領はモブトゥ・セセセコという腐敗した独裁者だった。だが個人的にはコンゴ音楽がアフリカの他の地域から抜きん出た独特の輝きを見せ たのもモブトゥが大統領だった時期という印象がある。コンゴの独立が1960年、モブトゥによる軍事クーデターによる政権交代が1965年11月25日そ して1997年5月16日、ローラン・カビラの反乱軍に追われモブトゥは海外へ脱出する。

腐敗した独裁者を懐かしむ気持ちはないが、何故 コンゴ音楽の黄金期とモブトゥの支配時期が重なるのかは重要な問題だと思う。モブトゥのオータンティシティー政策(アフリカ的ルーツの見直し)の音楽への 影響はあまり語られないがコンゴ音楽を自国の貴重な文化遺産と見なしLPなどの海外持ち出しを法的に禁じたことはよく覚えている。何故なら私が出国する 時、キンシャサで買ったLPを持ち出すために役人にワイロを払ったからだ。

何故、コンゴ音楽が第二次大戦後、他のアフリカ諸国と比較にな らないほどの興隆を見せたのか?簡単に言えば援助バブルである。コンゴは貴重な地下資源の宝庫であることはすでに指摘した、もう少しこの点を掘り下げてみ よう。アフリカ大陸を地図で見るとアフリカのちょうど真ん中辺りに中央アフリカから南アフリカまでの山脈が連なっているのがわかる。これが「アフリカの背 骨」と呼ばれる地域である。この「アフリカの背骨」は大昔、地下の深い部分からから吹き出したマグマが冷えて出来たと言う。ところで金とかウランとか希少 金属などは鉄などに比べるとはるかに重い。その為に地球が生まれる過程で地球内部に沈みこんでしまった。アフリカの背骨など一部地域でしかこうした物質が 取れないのはこれが理由だ。

ところで金もウランも戦略的に重要だが、もっと重要なのはコバルト・モリブデン・バナジウムなどの希少金属 だ。こうした金属はごくわずか加えるだけで、できあがる合金の性質を大きく左右するという特質がある。チタンが良い例で、鉄に少し加えるだけで硬度が比較 にならないほど上がる。ゴルフ・クラブのチタン・ヘッドが良い例だ。そうした金属はハイテク産業、とりわけ軍需産業に不可欠だった。日本ですら石油だけで なくこうした希少金属の備蓄を行っているくらいだ。

アフリカの地図をじっくり見るとコンゴという国の冷戦時代の戦略的重要性がわかる。ア フリカの背骨の約半分がコンゴ東部にあるのだ。つまりコンゴという国は東西陣営どちらにとっても死守しなければならない国であり、コンゴを失うことは軍事 競争からの脱落につながる危険性があった。その結果がコンゴへの援助競争だった。モブトゥが腐敗していることはおかまいなしに援助が与えられた。中国のよ うに援助を出せない国は人材を送り込んだ。それはキンシャサ市内にある中国人街として残っている。

いつからそうした援助バブルが始まった のか?常識的に考えれば冷戦が本格化する1950年代からだろう。つまりコンゴという国は戦後一貫して援助バブルの中にあったのだ。もちろん、そうした援 助は独裁者モブトゥが多くを横領したが、全てが横領された訳ではない。コンゴに「何もしなくても勝手に援助が送られてくる」という楽天的気風ができあがっ てもおかしくはない。それがまさに70年代以降のアフリカ大陸を席巻したザイコ・ランガ・ランガに見られる脳天気な明るい音楽を生み出した。

そ うなのだ、コンゴ音楽の興隆は実はただのバブル現象なのだ。貧しいにもかかわらず底抜けに明るい人々とか言うが、そうじゃないんだ。コンゴは半世紀以上世 界中から援助を受けるのが当たり前の状態が続き、彼らの日常感覚は麻痺していたのだ。極論を言えば60年代から90年代初めまでコンゴ音楽がアフリカ大陸 を席巻したのは、援助というお金に裏付けられたバブル文化の華やかさが魅力的だったからだと私は考える。