ブルーノートは何故ブルーか?
2010.09.27
ブルーノートとはミ♭、ファ
#、シ♭の3つの音でジャズで頻繁に使われるのはみなさんもご存知だと思う。ブルーノートばジャズの名門レーベルの名前でもあり又ジャズ・クラブの名前で
もある。ところで何故この3つの音はブルーに響くのか、何故暗い陰りを感じさせるのかはこれまできちんと説明されなかった。これを新大陸に連れてこられた
アフリカ人奴隷の精神的葛藤の産物として説明してみよう。
ジョン・ストーム・ロバーツの著作"Black Music of Two
Worlds"でも当然ブルーノートは取り上げられている。1つの仮説は西アフリカには元々E♭を含む音階が存在したというものだ。私の仮説はこうであ
る。アフリカは音階により2つの大きな集団があった。1つは西アフリカ中心の集団で個人的にはマリ辺りが中心だと思うのだが、ド、レ、ミ♭、(ミ)、ソ、
ラという音階を使用する。ミが半音下がっているのはアラブ文化の影響ではないかと思う。対して中央アフリカ以南の部族、例えばバントゥー族は普通のペンタ
トニック音階を使用した。ド、レ、ミ、ソ、ラである。
どちらの音階もファとシが無い。日本で言うヨナ抜き音階、ルートから4度と7度上の
音が無いペンタトニックである。ところがアフリカ人が連れて行かれた新大陸での音楽の柱は教会における賛美歌だった。それは当然だがドレミファソラシドと
いう音階からなっていた。新大陸に移った黒人達が自分達の元々の音楽を歌い演奏することには制限があった。だが賛美歌を歌うことは奨励された。そして黒人
達は少しづつヨーロッパ的音階を身につけていった。だが奴隷が開放され自由を取り戻した後にはヨーロッパ的音階をアフリカ的に崩し歌い演奏するようにな
る。やはりヨーロッパの音階で歌い演奏することは黒人に取って窮屈な行為だったのだ。
アメリカ南部のブルースがそうしたアフリカ的に崩し
た音楽の始まりだった。まずアフリカの部族によってはミに代わる構成音であるミ♭が加えられた。シは半音下げられシ♭になった。ファは厄介だった。ファを
半音下げるとミになってしまい、それはどう聞いてもミとしか認識されずファを避けた結果としてミになったと聞く人が理解することは不可能だった。この時点
ではファは使用しない以外に解決策が無かった。こうしたヨーロッパの音階をアフリカ的に崩した結果として初期ブルーノート音階が生まれる。つまりド、レ、
ミ♭、(ミ)、ソ、ラ、シ♭という音階である。だがブルースが生まれる頃には黒人達もかなり白人の音階になじんでおりファやシも控えめには用いられた。
ブ
ルーノートが完成するのはビーバップ以降である。NYという都会を舞台に活動する彼らは知的な発想を行った。ファを半音下げる代わりに半音上げてファ#に
すればファとシを抜くペンタトニック音階が違う形で再現できるじゃないか?ミ♭、シ♭にファ#が加わりブルーノートが完成する。
だが音を
避ける時、人間は普通下がるほうに避ける。何故なら上がるほうに避けるとその音が目立つからだ。楽器のチューニングにも言えるが、ギターを演奏していて低
いほうにチューニングが外れた場合我慢できるが高いほうに外れると処置無しである。何故なら本来の音より高い音は人間の注意をひきつけるからだ。だがミ♭
やシ♭より扱いが難しいもののファ#もまた白人音楽にアフリカ的感覚を加えるのに有効だった為、この3つの音がブルーノートと総称されるようになり広く
ジャズ演奏者や音楽ファンに愛好されるようになる。
つまりブルーノートとは何かというとヨーロッパの音階に持ち込まれたアフリカニズムである。ミ♭はアフ
リカ固有の音だった。ファとシはアフリカのペンタトニック音階から見ると西欧文明を感じさせる音であり黒人には抵抗感があった。そうした心理的抵抗感が
ファとシを避けようという行為につながりファ#とシ♭が多用された。なお初期のブルーノートは半音ではなく4分音だったようだが、それは現在の黒人音楽に
はほとんど残っていないためここでは説明しない。
ジャズというのは知的遊戯の要素が強い音楽である。ミ♭・シ♭・ファ#がクールに響くな
ら残された音、レ♭、ソ#もいけるんじゃないかと考えられた。実際、ブルーノートほど使い勝手は良くないもののこうした音も十分使えた。ただアフリカ的要
素はそこには無かった。黒い音楽に関する限り、3つのブルーノート+ペンタトニック音階(ないしは全音階)で十分だった。以降、ヨーロッパの教会旋法が取
り入れられアドリブ理論は進化していくのだが黒い音楽に関する限り、それは必要の無い進化だったと考える。
ところでブルースにせよジャズにせよアメリカの音楽である。ヨーロッパの音階をアフリカ的に崩す行為は他の地域、例えばブラジルやキューバでは行われなかったのか?行われたと思う。だがアメリカが最も進んでいた。何故か?
ア
メリカの白人が黒人のアフリカニズムを最も厳しく制限したからだ。特に他の地域では許されたコンガのようなアフリカ起源の打楽器演奏が禁止されたことが大
きかった。リズム面でアフリカニズムを大きく制限されたアメリカ黒人はメロディーや演奏技法でのアフリカニズムの復活に力を注いだ。その結果がブルース、
ブルーノート、ジャズとして現れたと私は考える。つまりリズム面での抑圧が大きかったためにメロディーでのアフリカ性が高まったと考えるのだ。