ステップは西欧の産物である
2010.09.28
(相当に古い文章に加筆したもの。ただ普遍的な主張なので古さは関係ないと考える)
数
年前に偶然NYタイムズのサイトで日本のパラパラという踊りを紹介する記事を読んだ。パラパラというのはキムタクがドラマの中で踊り有名になったダンス
で、日本における大衆レベルの踊りとしてはかなり普及したと言っても良いだろう。NYタイムズの記者もそうした背景を紹介しているのだが、同時に非常に面
白い点を指摘していた。
「パラパラは西欧人からすると奇妙に見える。何故ならほとんど上半身を動かすことで成り立っておりステップが存在しないからだ」
この記者は日本の踊りの本質を良く見ていると思う。つまり日本にはステップを踏むような踊りというものは歴史上存在しなかったのだ。では何があったか?舞いである。日本人は踊る代わりにひとさし舞うのだ。
(ではアフリカはどうか?アフリカには踊りでステップを踏む人と踏まない人、両方がいる。とするとステップというのは西欧社会の産物なのだろう)。
日
本には舞いがある。能や歌舞伎など日本の伝統芸能全てに言えることだが、重心があまりに安定している、安定しすぎていると私は感じる。足を動かす時でさえ
重心が崩れないように配慮される。その代わり所作(しょさ)が重視される。重心を安定させた上で、つまり腰をふらず、それ以外の部分で繊細な感情表現を行
う。良い悪いは別にしてこれが元々の日本人の踊りである。ありふれているが農耕作業の動きが反映されていると私も考える。
舞いと言えば織田信長が本能寺の変で「人生五十年、下転のうちにくらぶれば」と歌い舞い、最後を遂げたエピソードが思い浮かぶ。これは当時非常に人気のあった能、「幸若」の一節である。その当時の能は現在のJポップのような流行歌だった。
し
かし一般庶民が能を踊る訳が無いと思う。我々の先祖は一体、何を踊っていたのだろうか?現在の盆踊りにおいてすらステップと呼べるほどのものは無く所作が
中心になっていることから日本において、西欧人が踊りと聞いて思い浮かべる「ステップを基礎とした踊り」は存在しなかったように思える。
日本の「踊り」は基本的にずっと舞いだった。そして舞いが21世紀において隔世遺伝的にポコッと現れたのがパラパラだった。パラパラには能や歌舞伎につながる、重心を安定させ所作を中心にする動きという日本人のダンス美学が生きていた、だから流行ったと私は考えるのだが。