映像の証拠能力
2010.10.01
TVに限らず写真、ビデオなど映像に関して私は不信感を持っている。芸術なら良い。美しい自然写真や火星の大地の写真などは文章に匹敵する力を持っている。問題はいわゆる報道写真とか報道ビデオである。
まず結論を言うと私はそうした写真/映像を50%くらいしか信用してない。過去にコンゴやブラジルなどに行った時も、カメラ類を一切持参しなかった。
当
たり前である。あなたの住んでるマンションの周りでいかにも外国人風の男がカメラで写真を取っていてあなたは平気だろうか?普通の日本人なら不快に思うは
ずだ。警察に通報する人もいるだろう。世界の国でも例外的に治安の良い日本においてもカメラ/ビデオを嫌うのにコンゴ人やブラジル人が歓迎する訳が無い。
第一、そんな機材を持ってると当然金目当ての連中に狙われる。第2に歩き回るのに邪魔だ。第3に「事件」に巻き込まれた時、逃げるのに邪魔だ。
私
は昔ある超大国のその手の機関の捜査方針に関する資料を翻訳したことがある。内容は犯罪において写真やビデオはどの程度、証拠として有効かという興味深い
ものだった。結論を言うと写真やビデオは証拠として使用できるが生身の人間の証言の方がはるかに信用できるし将来的には映像加工技術の進歩により証拠とし
て使えなくなるだろうと予測していた。
例えば、私がたまたまある外国の都市に滞在している時に反政府暴動が起きたとしよう。私が持ち合わ
せていたカメラでホテルの周囲の焼け焦げた商店街を写したとして、これは価値があるだろうか?エンターテインメントとしては大変に価値がある。実際、高く
売れるだろう。しかし問題はその写真が果たしてその都市の暴動を正確に伝えているかどうかだ。
私が写真を取った地域がたまたま一番暴動が
激しい地域だったら私の写真は事実を誇張していることになる。反対に私が写真を取った地域の10km北ではもっと凄まじい事件が起きていたなら事実を矮小
化していることになる。私は写真など取らずひたすら歩き回りみんなの声を聞いて回った文章の方を信用する。
PCなどの編集技術により写真でもビデオでも好きなように加工できる時代になった。さらに進むと、専門家すら見破ることができない時代が来る。一言で言ってしまえば、私は動画も含む報道写真を信用してない。