立花隆、法治国家日本の終了を嘆く
2010.10.01
これは実は昭和天皇ご崩御の際のマスコミ報道に関してである。立花氏は、日本の新聞やTVが全ての紙面とスペースを昭和天皇追悼に捧げるのは、メディアとしての自殺であり日本は本当に法治国家なのかと嘆かれた。そして日本マスコミを激しく非難した。
だが立花氏はひとつ勘違いしていた。それは新聞やTVの中にも、そうした報道姿勢を批判する人はかなりいたという事実の無視である。無視というのもある意味では可哀想だ。何故なら、いかなるメディアもそうした「反対派意見」を紹介しなかったからだ。
私
に限って言えば、会社との関係がもつれにもつれ、最終的には内容証明郵便で辞表を送り辞めた。朝日新聞社広告では、人事面で広告局長に最も近いポジション
にいた東京本社広告局広告1部長がそうだ。彼は最後まで「そうした紙面」への反対を表明し、9月の報復人事でできたばかりの子会社に飛ばされた。朝日新聞
社の広告だけでも、これだけいるのだ。当然、新聞やTV全体ではもっといた。
問題はそうした人の意見が全て握りつぶされた点にある。週刊誌でさえ、記事にしなかった。この点で立花隆氏を責めるのは気の毒ではあるが、少しでも新聞やTVの現場にいき、生の声を聞いていれば、いくらでも「そうした話」は聞けたのだ。
綺
麗事で言えば、私達は「今は大日本帝国憲法ではなく、日本国憲法の時代だ。日本国憲法の規定に従い紙面を作れ」と主張し、旧守派により潰されたのだ。立花
氏の非難は結構だが、取材不足を隠すことはできない。様々な予定稿とか掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げることができた。できたのにやらなかったの
は立花氏の能力の限界を示していると私は思う。
立
花隆氏が評価されているジャーナリストで、昭和天皇ご崩御の際に辞表を出して抗議した人がいるでしょうか?筑紫哲也氏などは社の方針にしっぽを振ってまし
たが(笑)。当然、筑紫氏は極右だと認識されてますよね?筑紫氏が朝日人(朝日新聞社内報)に書かれた文章を読まれましたか?「TBSに移っても私は死ぬ
まで朝日人です」と主張されていました。実際、筑紫氏が「社の方針」を批判したことは一度もありません。
「昭和天皇ご崩御の次」からは通常の紙面、通常の番組編成でいくと89年代にほぼ合意されていた。ところが未だに国民の誰も知らない。
マスコミの談合・隠蔽体質を私が非難している理由をご理解いただけただろうか?