ユーミンとボサノバの微妙な関係
2010.10.05

(2002年の文章に加筆しました)

初期のユーミンの音楽にはボサノバ感覚があった。私は好きだったが、一般音楽ファンには人気がなかった。大阪の御堂筋会館で開かれたロック中心のオムニバス形式のコンサートでは「音痴!ひっこめ!」とヤジがとび、たくさんの拍手が起きた。

だが80年代、偶然にユーミンがブラジル人に人気があることを知った。当時、青山にクルーベ・ド・ブラジルという日本とブラジルの民間交流団体事務所があった。そこの代表でありブラジル映画「ガイジン」で主演女優をつとめた塚本さんと話をしていたときに、

「日系ブラジル人留学生が国に帰る引越しの手伝いにずいぶん行ったけどユーミンのアルバムを持って帰る人がたくさんいた」

と 教えていただいた。そうか、やっぱりと納得した。その後、ボサノバ時代の重要人物、ナラ・レオンのギターの先生、最近はワンダ・サーと活動を共にしてるホ ベルト・メネスカルが「あの日に帰りたい」をポルトガル語でカバーしたりとか、ベベウ・ジルベルトが90年代初めに日本市場向けに録音したユーミンのヒッ ト曲カバーアルバムがもうすぐアメリカでも発売されるようだ (2002年9月時点)。

このCDは米アマゾンで5月から予約を受け付けて いるが何回も発売延期になっている。はっきりとした事情はわからないが、どうもベベウが自分のアルバムとして発売されることに反対しているようだ。アマゾ ンで久しぶりにこのアルバムの曲を一部、聞いてみたがCTI的な意味で「ボサ」だった。

(このプロジェクトを推進したのはブラジルを代表するスタジオ・ベース奏者ルイゾン・マイアだった。ルイゾンの奥さんが日系人でコネクションがあったらしい。ルイゾンは後に脳梗塞になり治療のために日本の慶応病院に通院していた時期がある)

覚えている人はほとんどいないと思うが、昔、ユーミンは売れなくなったらボサノバで勝負すると言ってた。最近のユーミンは新曲もつまらなければアルバムも売れない状態だ。そろそろ「あの日に帰って」本気でボサノバで勝負していただけませんか・・・・・・