カボ・ベルデの複雑な事情
2010.10.06
アフリカの島国カボ・ベルデという
と歌手セザリア・エボ-ラが有名だ。彼女はハイチでも人気があり、数年前にスイート・ミッキーが彼女の曲のカバーをした。ハイチ人女性歌手エムリーヌ・
ミッシェルも最近のインタビューで「彼女の歌を聞いて、英語で歌うかどうかなんて関係ないと思った。私はレコード会社のオファーを断りハイチに戻りクレオ
ル語のアルバムを作った」と語っている。
(ソニー・ミュージックがヒップホップを英語で歌うなら契約するとエムリーヌに持ちかけたこと。エムリーヌもかなり迷ったようだ。結局契約はなく、変わりに「「コルデ・エ・エメ」という久しぶりにハイチ色の強いアルバムを作った。)
し
かしセザリアが歌うもの哀しい響きのモルナがカボ・ベルデの全てかというともっと複雑なようだ。センバなどのアンゴラの音楽も非常に人気があるという。カ
ボ・ベルデ出身で現在はボストン中心に活動しているメンデス兄弟はスターンズが配給した自主制作CD(?)のライナーでこう説明していた。
「カ
ボ・ベルデは貧しい資源の何もない国だからみんなはあちこちに出稼ぎに出た。アンゴラにもたくさんいたんだ。だが1961年にアンゴラで内戦が始まったと
きに、みんなカボ・ベルデに引き揚げた。その時、たくさんのセンバのアルバムが持ちかえられラジオで繰り返し流された。だからセンバも僕達のリズムだ」
実
際に彼らのデビュー作”Torri di Control”ではアンゴラ人のドラマーが素晴らしいドラミングを聞かせている。このグループはハイチ色も強
い。一方でやはりポルトガル語圏アフリカ国であるギニア・ビサウ辺りにはほとんどキューバ人と変わらないようなサルサを演奏する人やコンゴ的な演奏をする
グループもある。
実は、こうした国の音楽事情はもっと複雑で人為的な面がある。奴隷貿易の中継基地としてカボ・ベルデやギニア・ビサウが利用されたという過去があるからだ。病気などで弱ったコンゴ人やアンゴラ人の多くが、こうした土地で下ろされたという。
興味ある人はミドル・パッセージで検索すると良い。凄惨な歴史が出てくる。