ハイライフとしてのシャーディー
2010.10.06
シャーディーという歌手は今
でも人気があるが、彼女の音楽をハイライフとして解釈した記事を読んだものがない。実際、シャーディーの音楽はイギリスのクラブ音楽の枠の中でしかとらえ
られてないが、ハイライフ的な部分もある。ハイライフが何かは「偉大なる江沢民国家主席に会えて光栄だった」と書いた謎のアフリカ音楽評論家
desert_jazz氏が詳しいので、そちらに解説をおまかせします(笑)。
シャーディーの本名は、Folasade Ado。AdoないしはAddoというのは西アフリカに多い名前で、シャーディーの父親はナイジェリア人だ。
あ
るアメリカ人と話している時、彼はおもしろいことを言った。彼女がSade(彼女のグループの名前)をシャーディーと発音させているのは明らかにマルキ・
ド・サド(サド公爵)と混同されるのを嫌がっているからだという。確かに普通ならありえない発音だ。つまりレコード会社の販売戦略として、あえてsade
をシャーディーと読ませたのだと彼は主張した。事実かどうかは不明。
彼女の音楽は洗練されたハイライフだと私は思う。ハイライフはガ−ナ
だけでなくナイジェリアでも人気がある。シャーディーが子供の頃、父親のかけるハイライフを聞いて育ったとしてもおかしくない。彼女の最初のアメリカツ
アー「スムース・オペレータ」にはキューバ人のコンガ奏者が同行したそうだが、恐らく問題なくとけあっただろう。何故ならハイライフにはキューバ音楽的要
素が相当にあるからだ。
実は私がシャーディーの音楽を聴くようになったきっかけはブラス・ファンタジーというジャズ集団がアルバムで「スムーズ・オペレーター」をカバーしてからだ。ジャズ・トランペッターのレスター・ボウイの演奏がナイスだった。
こ
の人はアート・アンサンブル・オブ・シカゴという前衛ジャズ集団出身。良いジャズの素材になりうるほどシャーディーの音楽のレベルは高い。アフリカ的であ
ることと洗練された音楽であることは矛盾しない。だが、すでに指摘したようにアフリカの洗練された音楽は常に単発でありボサのように運動として盛り上がら
ない。ボサにはそれを支えるリオの中産階級がいた。アフリカにはいない。
最近、この手の音楽を聴かない。それは自分の無知/怠慢が原因か
も知れない。だが、そうした洗練された音楽を支える層(ミドル・クラス)が大きく傷んでいるのが主因ではないかと考えている。ブラジルにおいてすらボサノ
バが流行ったのは一時期であり、1965年の軍事クーデターで一挙に終わる。ジョビンとかは海外に出て活動を続けたからボサノバがずっと続いているような
錯覚を持つのだが・・・・