デニス・ブラウンの死
2010.10.06

(2002年頃の文章に加筆しました。たいした事は書いてませんが珍しくレゲエに触れてるのであえて紹介)

私 はレゲエの熱狂的ファンではないのだが、デニス・ブラウンという歌手は昔から割と好きだった。特にA&Mから出した明らかに白人市場開拓/売れ線ねらいの アルバムに入っている「Love Has Found Its Ways」という曲が好きだった。オクターブ・ギターが甘くからむラバーズ・ロックで、正 統派レゲエファンには嫌われたようだが私はこういう甘い曲に弱い。

90年代の12月23日夜10時頃、私はあるパリのコンサート会場で列 んでいた。ボジ&アンチ・ショック+ウェンゲ・ムジカという2本だてコンサートがある筈だった。実際、パリの地下鉄の壁には彼らのコンサート予告が ベタベタと貼られていた。ミュチュアリテという会場だった。そうすると中からデニス・ブラウンの声がするではないか!売り場の兄ちゃんに確認すると確 かに彼のコンサートだが、もうすぐ終わるよとのことだった。

会場に入るにも、もうチケットを売ってなかった。私はもれ聞こえるデニスの歌 をしばらく聞いた。元気な歌声だった。だが15分もするとコンサートは終わった。そして、いかにもドレッドな方たちがどっと外にあふれ出た。10分もする とみんな帰ってしまい、残っているのはボジ目当ての数十人だけだった。しかしやけに人数が少なかった。ボジやウェンゲがデニス・ブラウンほどの人気がない のは理解できるが数十人ということはないだろう、そう思った。

(コンゴ人演奏家のコンサートは深夜から始まるので、こういう事が可能になる。デニス・ブラウンが前座を務めた訳ではない)

や がてチケット売り場のお兄さんが何かを怒鳴り、その数十人すらあっというまに消え去った。フランス語のわからない私は、ただうろうろした。その内にチケッ ト売り場すら閉鎖されてしまった。どうやらコンサートはないようだった。私は未練がましくその会場の裏口に向かった。そうするとアフリカ人の黒い革の制服 を着た警備員が現れて何か言った。

私は「ボジとウェンゲ、どうなりました?」と質問をした(何語で?)。「ボジ!ワハハハ!」と警備のお じさんは笑った。もう夜中の12時近かった。そこであきらめて地下鉄でホテルに戻った。次の日に確認したら、コンサートは当日になってキャンセルされたと いう。こんなことをやってるからコンゴ人は信用されないしコンゴ音楽は普及しないんだと怒りがおきた。だが、長年のコンゴ音楽ファンとして「信じた私がバ カでした」という気持ちもあった。

日本に帰って詳しい人に聞いたら、そのコンサートの予定日、ボジもウェンゲもまだキンシャサにいたそう だ。こうしてコンゴ人には絶対貸さないというコンサート会場がどんどん増えていく。コンゴ音楽が衰退した理由はたくさんあるが、会場が無くなっていったと いうのも1つの理由だ。

そして数年後の1999年、デニス・ブラウンが突然、死んだ。42歳だった。これには驚いた。パリでのはつらつとした声からはとても信じられなかった。

黒人音楽ファンはこのようにいつでもどこでも裏切られる。そしてブルーズの本当の楽しみ方を覚えるのだった。

追記

関係ないが、サラリーマン時代、よく若い女性から「竹本さん、レゲエが好きでしょ」と言われた。何故、わかったのだろう(笑)。