初めてヤラセに気が付いた時
2010.10.09
日本人二人がノーベル化学賞を受
けたということでメディアも2chも盛り上がっている。中には高校レベルまで遡って報道しているメディアもある。そういえばと思い当たる節があった。例に
よってプライバシーの切り売りである(どれだけ切り売りするプライバシーがあるのか?)。
私が卒業した大阪府立茨木高校では水泳が非常に
重視されていた。ある水泳部/水球部の同級生は「ウチは水球の府の大会で2位以下になったことはない」と自慢した。それはすごいと思った私が問いつめる
と、その当時の大阪府の高校で水球部を持っているのは2校しかないことがわかった。なるほど、それなら2位以下になることは無い訳だ。私は彼の発言の説得
力に感心した。
今はどうか知らないが茨木高校では50m泳げないと卒業できなかった。正確に言えば、泳げないために卒業できなかった人は
いないのだが彼らは夏休みの1週間、学校にきて特訓を受ける義務を課された。勉強が出来なくても死なない、泳げないと死ぬという「サバイバル哲学」がそこ
にあった。この水泳検定(真面目な話、検定があったのだ)の冒頭でいつも卒業生である川端康成氏の名前が出された。
川端氏の頃はコンク
リート・プールというような洒落たものはなく、高校の北を流れる茨木川から水をひいた天然プールが作られていたという。そのプールを作るために駆り出され
たのが川端康成氏で、あの小柄で華奢な体でスコップをふるい水をひく為の水路を造ったという。「キミらの先輩、川端先生が土方(?)をやってプールを作っ
てくださったのだ」というところから、いつも水泳検定の重要性の説明が始まったと記憶している。なお当時のプールは川から水をひいていたために「泳いでい
ると鮒や鯉が周りを泳いでいた」という証言もある。
ノーベル文学賞がウンタラ・カンタラというのはあまり強調されなかった。教員もアホに
説明するだけ無駄と思ったのかも知れない。その川端康成氏が私の在校中に自殺をされた。この時、新聞を始めとしたメディアは狂騒し「偉大な先輩の訃報をき
き悲しみに沈む茨木高校」がナンタラ・カンタラという記事を全国配信した。
実際、ある日の新聞朝刊に同級生(女)が載っているのを見つけ
て私は驚いた。ところが、本人達の証言によると、これは完全なヤラセだという。メディア側が「悲しみに沈む母校」というストーリーを勝手に作って高校に
やってきた。高校側は急遽、川端先生にふさわしい古風な女性3人を集め、校内にあった文字碑に献花させたというのが真相だった。今、手元に高校の卒業アル
バムがある。その写真を見ると、確かに一人の女性は笑いをかみ殺すような表情を浮かべている。
真実はこんなもんなんですよ(笑)。
比較的、本を読み茨木高校の「痴の巨人」と言われた私ですら当時の最大愛読書は大藪春彦であり、「そこだ、そこでマグナム・ライフルを撃つんだ!」とか叫んでいたくらいで、女子学生が川端康成を読むわけがない(笑)。それは卒業アルバム写真の表情に露骨に表れている。
現実はこんなもん何ですよ(笑)。
追記
ところで卒業アルバムを見て気が付いたが当時の私は長髪だった。これを止めたのは大人になったからではなく物理的・医学的に不可能になったからだ。夢の無い話だ・・・
訂正
改めて1974年茨木高校卒業記念というアルバムを見たら、「以文会友」と書かれた文字碑に献花しているのは女性4人だった。一人は同級生、他3人は知らない。