東アジア共同体は人種差別思想である
2010.10.10

東アジア共同体とは人種 差別主義を正当化するための方便である。人権の本来の考え方に従えばアフリカ人の命の重さも中国人や韓国人の命の重さも同じだ。ところが、そうした人権思 想の基本を踏まえると、中国を中心に物事を考えたい人には都合が悪い。その為に「一衣帯水」のウンタラ・カンタラ、歴史的にナンタラ・カンタラが持ちださ れる。それはただの方便でしかない。その目的はアフリカ他、非東アジアへの差別を正当化する事にある、というのが私の理解である。

憲法9 条の会とか大江健三郎は今回の中国人権活動家劉暁波氏のノーベル平和賞を祝福するメッセージを出していない。また記者クラブの完全開放を求める人たちも何 ら声明を出していない。これは明らかにおかしい。何故なら、9条に代表する非暴力平和主義を支えるのは国際的な人権の尊重だからだ。また今回の中国政府に よる劉暁波氏に関する情報統制は記者クラブの閉鎖性とは桁違いなレベルで行われている。もし「自由な情報アクセス」を本当に信じているなら当然、劉暁波氏 のノーベル賞を歓迎するメッセージを出すはずだ。中国政府を非難するはずだ。しないということは彼らの本当の目的は非暴力平和主義でも自由な情報アクセス でもないことになる。

しつこく名前を出す。

引用

記者会見・記者室の完全開放を求めるアピール

日 本で今、記者会見の開放が大きな問題となっています。「報道の自由」「知る権利」の観点から考えれば、記者会見は本来、新聞社やテレビ局に所属する記者だ けでなく、雑誌社やインターネットメディアに所属する記者、フリーランスなど、幅広い記者が参加し、自由に質問できる公の場であるはずです。
(略)

                            2010年4月

       記者会見・記者室の完全開放を求める会(会見開放を求める会)

                             呼び掛け人一同

                                            代表世話人 野中章弘

 呼び掛け人 (あいうえお順)

青木 理 (ジャーナリスト)
浅野健一 (同志社大学教授)
梓澤和幸 (弁護士/「News for the People in Japan」代表)
阿部重夫 (総合情報誌「FACTA」編集長)
雨宮処凛 (作家/「反貧困ネットワーク」副代表)
岩上安身 (ジャーナリスト)
岩崎貞明 (メディア総合研究所事務局長/「放送レポート」編集長)
上杉 隆 (ジャーナリスト)
魚住 昭 (ジャーナリスト)
宇都宮健児(日本弁護士連合会会長)
江川紹子 (ジャーナリスト)
岡本 厚 (岩波書店「世界」編集長)
小黒 純 (龍谷大学准教授)
桂 敬一 (立正大学社会学科講師)
鎌仲ひとみ(映像作家)
北岡和義 (日本大学国際関係学部特任教授)
北村 肇 (「週刊金曜日」編集長)
黒薮哲哉 (フリージャーナリスト)
篠田博之 (月刊「創」編集長)
柴田鉄治 (元朝日新聞論説委員)
渋井哲也 (ジャーナリスト)
清水 勉 (弁護士)
清水英夫 (弁護士)
下村健一 (NPO「市民がつくるTVF」理事)
白石 草 (「Our Planet−TV」代表)
神保哲生 (ジャーナリスト/「ビデオニュース・ドットコム」代表)
鈴木 亮  ( A SEED JAPANメディアCSRプロジェクト)
高田昌幸 (ジャーナリスト)
高野 孟 (「THE  JOURNAL」主幹)
田島泰彦 (上智大学教授)
田原総一朗(ジャーナリスト)
津田大介 (メディアジャーナリスト)
津田正夫 (立命館大学教授)
寺澤 有 (ジャーナリスト)
戸崎賢二 (放送を語る会)
西里扶甬子(フリージャーナリスト)
西中誠一郎(フリージャーナリスト)
野中章弘 (アジアプレス・インターナショナル代表)
畠山理仁 (フリーランスライター)
林 香里 (東京大学教授)
原 寿雄 (元共同通信編集主幹)
ピーター・バラカン (ブロード・キャスター)
日隅一雄 (弁護士/「News for the People in Japan」編集長)
広河隆一 (「DAYS  JAPAN」編集長 )
藤倉善郎 (フリーライター)
藤田康雄 (講談社「G2」編集長)
藤森 研 (元朝日新聞編集委員)
牧野義司 (経済ジャーナリスト)
松田 浩 (放送評論家/元立命館大学教授)
丸山重威 (関東学院大学教授)
三宅勝久 (ジャーナリスト)
宮台真司 (社会学者/首都大学東京教授)
元木昌彦 (元「週刊現代」編集長)
森  摂 (雑誌「オルタナ」編集長)
森 達也 (映画監督/作家)
森広泰平 (アジア記者クラブ事務局長)
門奈直樹 (京都産業大学教授)
山口一臣 (「週刊朝日」編集長)
山田健太 (専修大学文学部准教授)
豊 秀一 (日本新聞労働組合連合委員長)         以上 60人

引用終わり

この人たちは何故、劉暁波氏のノーベル平和賞を祝福しないのだろう?

話は変わってコンゴ音楽ファンとして忘れることができない第2次コンゴ戦争がある。日本語wikiはダメだが英語wikiは詳説している。

引用

http://en.wikipedia.org/wiki/Second_Congo_War

Second Congo War
The Second Congo War, also known as Africa's World War[3] and the Great War of Africa, began in August 1998 in the Democratic Republic of the Congo (formerly called Zaire), and officially ended in July 2003 when the Transitional Government of the Democratic Republic of the Congo took power (though hostilities continue to this day).

The largest war in modern African history, it directly involved eight African nations, as well as about 25 armed groups. By 2008 the war and its aftermath had killed 5.4 million people, mostly from disease and starvation,[4] making the Second Congo War the deadliest conflict worldwide since World War II.[5] Millions more were displaced from their homes or sought asylum in neighboring countries.[6]

引用終わり

上の死者540万人 という数字がどれだけ信じられるかは疑問だが、100万人単位でコンゴ人が死んでいったのは事実だ。で、9条の会とか人権がどうとか言ってる人は、この時 に何をしていたかというと主に従軍慰安婦を取り上げていた。それは1つの彼らの考え方としても、コンゴの100万人単位の死に関して何も行動をおこさな かったというのは結局、黒人差別主義者だ。ダブル・スタンダードだ。オマエだって何もしてないだろと反論されるかも知れないが、私は平和がドウタラ、人権 がカンタラと主張したことは一度もない。

そうなのだ、東アジア共同体関連の思想の根底にあるのは黒人差別思想/非東アジア差別思想だ。日 本の人権活動家や平和運動家はアフリカ人が数百万人死んでも平気な人たちだ。第1次と2次コンゴ戦争を経過して私は「東アジアがウンタラ、カンタラ」とい う人は基本的に仮面を被った差別主義者であることに気が付いたのだ。

追記

引用

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1022739/1046847/57529773

米川さんが赴任していたコンゴ・ザイールの度重なる戦争は、第一次アフリカ戦争もしくは第3次世界大戦かと思われるほどの、多くの国々(近隣アフリカ諸国、アメリカ、中国など)を巻き込んだ大規模なものにもかかわらず、ほとんど国際社会から無視されています。

この戦争による1998年からの犠牲者数の見積もりは約540万人(第二次世界大戦後、最大級)。
太平洋戦争における日本人の犠牲者310万人、9・11テロの被害者3000人という数字に比べて、どれだけ大規模な戦争であるかわかってもらえると思います。


裏 には、アメリカの裏工作、国際メディアの検閲など、一般に真実を知らせない仕組みが出来上がっているようです。独立期のルムンバ首相暗殺 (1961.1.17)、L.D.カビラ大統領暗殺(2001.1.16)の日が、アメリカの新大統領の就任時期と重なっているという指摘には、びっくり しました。
(注・就任式当日ではなく、だいたいの就任時期ということです。文章を訂正しました。)

引用終わり

こ れは違うような気がする。冷戦時代はコンゴの秩序は保たれていた。ところが冷戦終結とともにアメリカはコンゴの腐敗政権に援助を出すことを止めていく。そ の空白に入り込んだのが国際企業と中国だった。モブトゥの後に大統領になったカビラはゲバラと一緒に戦ったこともある社会主義者であった。また東部出身の カビラは多くのキンシャサ市民から「ルワンダ人」と見られた。この時点で内戦の種がまかれていた。つまり私の意見ではアメリカが冷戦終結にともないアフリ カ秩序維持に関心を失ったことが、むしろコンゴ戦争の大きな背景としてあるように思える。

もしアメリカがコンゴ戦争の主導者なら恐らく、日本のメディアやプロ市民が大喜びで毎日、叩いただろう・・・