ミナスの謎をとく
2010.10.10
(昔の文章に加筆しました)

パリに はFNAC(フナックと発音する。国営レコード店)の店舗がたくさんある。当時、最も大きかったテルヌ店(シャンゼリゼ近郊店)でブラジル・コーナーを見 ていたが、あまりおもしろいものがなかった。そこで隣にいたフランス人男性に、「パリにはもっと大きなブラジル音楽の店はないのか?」と聞くと彼は親切に もセントロ・ドゥ・ブラジウという別のレコード店を教えてくれた。こちらもブラジル音楽ファンだと見たのか彼はあるCDを引きぬいた。「お前はこの男を 知ってるか?こいつは天才だ。ぜひ買ってけ」と薦めるのである。それはジョアン・ボスコのCDだった。すでに持っていたし「ジョアン・ボスコが天才だとい うのは全く同感である」と私は述べ、なおもボスコの素晴らしさを力説する男性から逃げだした。

ところでジョアン・ボスコはサンバ歌手謙ギ タリストだが、ミナス・ジェライス州出身である。ミナス出身と言えば有名なサンバの作曲家アリ・バホーゾがいる。日本では異様にジョビンが評価されている が、アリこそ元祖天才ブラジル音楽作曲家だった。ところが後から出てきたジョビンのほうが本家天才作曲家と認識された。二人とも天才であることには間違い ない(笑)。

何故、リオから離れた内陸部のミナス州からすぐれたサンバ演奏家がでるのか?私は長年、不思議に思っていた。ジョン・ストー ム・ロバーツの本にヒントがあった。ロバーツ氏はミナスにはダイアモンド鉱山がたくさんあり、そこでは多くのアフリカ系労働者がいたという。彼らはダイア を掘りながらビスンゴ(vissungo)という労働歌を歌ったと書かれている。ロバーツ氏はビスンゴはバンツー語の響きがするという。彼らアフリカ系鉱 山労働者は掘るもの(多分スコップなど)を鳴らしながら労働歌を歌ったという。これはサンバ・ジ・コジーニャ(台所のサンバ)を思い出させる。台所のサン バとは台所にあるフライパンや鍋を叩いて演奏するサンバのスタイルである。もしロバーツ氏が推測するようにミナスに多くのバンツー系がいたとしたら、そし て彼らの歌がサンバの原型であればミナスから多くのサンバ演奏者が出てもおかしくない。

ところでアリ・バホーゾの「ブラジルの水彩画」と いう超有名なサンバの歌詞に「コンゴの王様にコンガーダを躍らせろ」という部分がある。このコンゴの王様というのは実際に存在したコンゴとアンゴラにまた がるコンゴ王国の王様だ。コンガーダというリズムに関して調べてみたが、サンバの原型のリズムという記述を見つけた。ここらに関してはコンゴ人音楽学者カ ザディが書いた「ブラジル・ポピュラー音楽におけるバントゥー族の貢献」という本に詳しく説明されている。

ミナスを離れると、アラゴアス 州(ブラジル北東部)出身の歌手ジャバンが想い出される。ジャバンがアンゴラ人歌手フィリーペ・ムケンガの「ウンビ・ウンビ」という曲をカバーしてブラジ ルではアンゴラ音楽の認知度が大きくあがった。そのフィリーペ・ムケンガ自身があるネット・インタビューで答えていたのだが「ブラジルに行ってコンサート を開くと、みんながあなたは顔立ちも声もジャバンにそっくりだと指摘する」と答えていた。

実際、脳梗塞をおこして実質、歌手を引退する前 のムケンガのアルバムに入っているWezaはムケンガとジャバンのデュエットなのだが、どの声が誰の声か識別できないくらい似ている。良く聞くと、最初の コーラスを歌っているのがムケンガで2ndコーラスを歌っているのがジャバンであるとわかる。

合法的かどうか不明だが下のサイトで曲が聴ける。この曲を含むアルバム「ミンブ・イアミ」を作成したレーベルはもう存在しないようなので、ひょっとすると合法的かも知れない。

Weza