何が自然なのか?
2010.10.17
8月の終わり頃、海岸沿いにサイクリングを
していて上空の見事な積乱雲に気が付いた。それは、あまりにクッキリしているために、どう見てもフラクタル・アートにしか見えなかった。もちろん実態は反
対で、自然を模倣する技法としてフラクタル数学とフラクタル・アートが生まれたのだ。だが実際に良くできたフラクタル・アートと自然現象に大きな違いが無
い以上、私のように積乱雲を見て「良くできたフラクタル・アート」と感じる者も出てくる訳だ。ちなみに制作者は神である(笑)。
ここで言
いたいことは「何が自然であるか」は時代あるいは人により変わっていくものであり、自分が不自然と感じても他の人はそう感じないかも知れないという事実で
ある。自分の感性を時代にあわせる必要は無いが、何故アナタが極めて不自然と感じる事柄を他の人は自然に受け止めているかの理解は必要だ。それは相当部
分、生まれ育った時代とか環境に依存している。
私はキューバのフルート奏者マラカが好きなのだが、彼のプロモーション・ビデオを見るたび
に笑ってしまう。何故かというとコンガやティンバレスがバックでリズムを刻んでいるなかでフルートを吹いてるからだ。聞こえる訳が無いのだ。これは自分が
実際にそうした楽器を練習した時期があるから、私の場合は大きな違和感がおきてしまい笑ってしまう。しかし子供の頃から、そうしたミキサーやPA(拡声装
置)でバランスを取る音楽をずっと聴いてきた人は特別に不自然と感じないかも知れない。それを言い出せば、ドラムがバカスカと叩いてる中でボーカルがきこ
える訳が無いのだ。ポップスは基本的な部分で「人工的」だ。
(ただ今のクラシックも相当に不自然であり、ピアノ・ソロ曲でも4つくらいテイクを取り、ミスの無い部分をつなぎ合わせてCD化しているという話を聞く。オマエラ、ポップスに対し説教をするのを止めろと言いたくなる)
こ
こを一番、割り切っていた人がジャズではハービー・ハンコックである。ハンコックがあるインタビューで書いていたが、昔の演奏ではピアノ・ソロになると
音量が一気に落ちるためにドラム奏者はスティックからブラシへの持ち替えをやったそうだ。ところがミキシング技術が進んだためにドラム奏者はそうした事を
気にせずドラミングに専念できるようになった、テクノロジーは素晴らしいとハービーはあるインタビューで話していた。ハービーは(宗教を除けば)好きな
アーティストであり、ここでも的確な指摘をしていると思う。
しかし、音楽においてテクノロジー・マンセーになってしまうと「コーラスなん
て必要ない、ソフトで合成すれば良い」となる。さらに進むと人間の歌も必要ない、ボーカロイドがあれば十分となってしまう。私はそうした今の音楽に多大な
「不自然さ」を感じるのだが、小さい頃からボーカロイドを聞いて育った世代にして見れば「おかしな屁理屈を言わないでください」となるだろう。
自然と言うのは不変であるように思いがちだが、実際のところ何が自然であるかは人により時代により環境により大きく異なる。とりあえず自分が自然/不自然と感じるから、それが普遍的な基準なのだという考えは捨てたいものだ。
感性というのは当てにならないものであり、さらに不味いことにアップデートが効かない。当たり前の事なのだが、正面切って主張している人は少ないように思う。それは結局、中高年の感性を批判・否定することにつながるからだろう。