民族別差別用語を考える
2010.10.19

今、中国で反日デモが吹き荒れている。これは中国政府のガス抜きなのか、中国人の不満が限界に達し反政府暴徒化しているのかは不明だ。

ところで、そうしたデモでよく「シャオリーベン」(小日本)という日本の蔑称を聞く。中国人には申し訳ないが、さっぱり侮辱された気持ちが湧かない。何故、湧かないか?

1.日本人には小さいことが悪いという考えが最初から無い
2.中国は国土と人口は大きいが砂漠が多く、また領海も小さい
3.日本は周り全てが海だから領海を含めると世界4位か5位であり別に小さくない

特 に私のように大学の第1外国語でドイツ語を取った者にするとドイツ語の"lieben"(英語の動詞loveに相当)を想い出してしまう。シャオは意味不 明だがしいて言えばCiao(チャオ)を想い出させる。元々はイタリア語で今は英語としても定着しているがHello/Good byeを意味するお気楽な言葉だ。

シャオリーベン → Ciao、Lieben → 愛よ、こんにちは(Hello, My Love)

うーむ、中国共産 党は本当に日本人の怒りを生むような新しい表現を考えるべきではないだろうか?いくら「シャオリーベン」と言われてもほとんどの日本人は何も感じない。大 体、アメリカだってモンロー主義の頃は小アメリカ主義を国策としていた。ヨーロッパでもそうした考えはあった。つまり「シャオリーベン」と中国人が言えば 言うほど、彼らの思考の「独特な拡大志向=中華帝国主義」が際だつだけだ。

実際のところ英語には外国人を馬鹿にする表現がいくらでもある(10数年前の知識で書いているので古いかも知れない)。

Eyetalian:イタリア人
Polack:ポーランド人
Frogeater: フランス人(食用カエルは巨大なので本当に美味しいかも知れない。鶏に似ていると言われる)
Cabaggehead:ドイツ人(キャベツ頭という意味。ドイツのキャベツは非常に堅いという)
Banana Republic:バナナ共和国(中南米)
Jap/Nip: 説明不要
Chink: 中国人
Gook: 朝鮮人(韓国人)

Jap という表現は注意が必要だ。ある英国人若者は「オレ達はBritと言われても平気だ。日本人がJapを気にするほうがおかしい」と主張した。実際のところ 今の日本人はたいして気にしてないのではないだろうか?ChinkもGookも今は使われなくなった。それは、そうした言葉に執拗に抗議をする「特定集 団」がいたからだ。代わりにChineseやKoreanという言葉自体が差別的ニュアンスを含むようになってしまった。それが望ましいのだろうか?

日 本のTVで張*に向かって「チョン」と言う人、ア**スに向かって「チャンコロ」という人はいない。だがロシア人を露助(ロスケ)と呼ぶ、アメリカ人を 「アメ公」と呼ぶことは許されているようだ。これもまた不思議な話で、何故チョンやチャンコロが許されないのにロスケやアメ公は許されるのか?これこそ人 種民族差別では無いだろうか?問題はチョンやチャンコロに所属する人たちは猛烈に抗議する、ロスケやアメ公の人たちは笑ってすませるという点にあるのでは ないか?それは何らかの圧力団体が存在し、常に監視していることを示唆している。

これは同時に国内問題だ。エ*とか4*とかカタワと言う発言は許されない。何故、許されないかというと強力な圧力団体がいるからだ。だが気狂いとTV司会者が発言しても問題はおきない。理由はいくつかある:

1.我々、精神障害者とその家族は結束していない。圧力をかけるような団体が最初から無い

2.気狂いを差別用語として騒ぎ立てると日本語という言葉が死ぬことを理解している

3.実際に日々、「相手」と接触しているとそうした表現の妥当性を認めざるをえない

エ*とか4*は社会背景が異なるのでコメントを避けるとして、同じ障害者でも身体障害者をさすカタワは放送禁止用語となったが精神障害者をさす気狂いはなっていない。そうした背景には

身体障害者>>>精神障害者

という障害者間差別があるように思える。実際に障害者週間とかでニュースとして取り上げられるのは常に身体障害者か希に知的障害者であり、精神障害者が取り上げられる事はない。

全 ての障害者は平等であると考えるなら、カタワも気狂いも禁止されるべきだ。そうならないということは精神障害者は差別されて当然という現代日本社会の「空 気」があるのだろう。だが気狂いと言う表現が禁止されると日本語はもはや不完全な言語になると私は考える。ならカタワとかメクラを使っても良いじゃないか と私は思う。

追記

上記文章は英語のbastard(元々は妾の子という意味)が日常的に使用されていることから発想しました。