山口一臣と稲垣武
2010.11.16
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%87%A3
山口一臣(やまぐち かずおみ、1961年 - )は日本のジャーナリスト。週刊朝日編集長。東京都出身。
経歴
早
稲田大学第一文学部卒業後、ゴルフダイジェスト社勤務を経て、1989年に朝日新聞社入社。朝日ジャーナル編集部で田中康夫を担当。その後、同誌の休刊に
より週刊朝日へ異動。副編集長にまで昇進する。2003年、北朝鮮拉致被害者のインタビューの記事が、同誌の記者による不適切な取材に基づくものであった
ことが発覚。副編集長であった山口は停職10日の処分とともに副編集長職を解任される。
引用終わり
ところで山口一臣氏が朝日新聞出版局(当時)に入られた年に辞めた人がいる。稲垣武氏である。
引用(wiki)
稲垣 武(いながき たけし、1934年12月12日 - 2010年8月5日)は日本のフリーランスジャーナリスト。埼玉県生まれ。京都大学法学部卒業。朝日新聞に入社し、整理部長、週刊朝日副編集長を歴任して、1989年に退社。
引用終わり
稲
垣氏は『朝日新聞血風録』
などで朝日新聞の中国より左巻き体質を批判したことで知られている。ところで当時の朝日新聞の定年は60歳だった。稲垣氏は定年をまたずに辞めている。こ
れは既に書いた早期退職者優遇制度という夢のような早期退職勧告奨励制度があったからだ。私はこの制度を利用してない。
ところで朝日新聞の内部で1989年はある動きがあった。記憶が曖昧な部分もあるが大筋は覚えているので書いてみよう。
私
が朝日新聞に入った時の同期に上坂という男がいた。彼は出版広告に配属された。出版広告は何をするかというと週刊朝日などの広告を集める。新聞の広告を集
めるほうは広告局として確立されていたが出版広告は出版局の一部でしかなかった。その上坂が辞表を出したのが入社式の半年後だった。
すで
に日経BPに職を確保した上で辞表を出した。我々は一応、同期入社だったので彼と会って話をしたが「朝日新聞は汚い。偽善の固まりだ」と激しく非難し、と
りつくしまが無かった。すでに書いたように私は日経の社長面接で、第1級精神障害者である自分の兄を笑いものにされた。社長だけでなく、その場にいた役員
全てが馬鹿笑いをしたのだ。当然ながら日経に対する当時の私の憎悪は凄まじかった(笑)。だが私自身すでに辞表を背広の内ポケットに入れてる状態だったの
で彼にどうこうアドバイスするようなことも無かった。
察
するに出版広告を集めるなかで総会屋とかカルトとか新興宗教とかを回ったのだろう。出版広告が扱う広告は、広告局が新聞(業界用語では本紙という)用に集
める広告とは異次元な部分があった。あるいは日経BPで編集(編集が何かは説明が難しいのでとりあえず記者と考えて下さい)をやるほうが朝日で広告をやる
よりマシと考えたのかも知れない。
他
方で同じ同期にPHP研究所の編集を辞めて朝日新聞の広告に移った人もいた。彼の動機は不明だが、朝日のほうが給与が良い/朝日には慶応大学出身者が多く
三田会の力が生きると考えたように思える。実際職場で、慶応大学ならず慶応幼稚舎の話が良く出た。彼らが何故、フリーメーソンめいた三田会なるものを絶賛
するのか未だに私には理解できない。
話がそれた。本筋に戻るが1989年に何があったかというと、社内で出版局を子会社にし本社から分離
することが検討されたのだ。それまでも何度か噂はあったが、この年は役員会レベルで本気の検討がされたらしい。これに対し出版局および編集局が猛反対した
ためにこのプランは潰れたと理解している。
2008年に出版局は子会社になり本社から分離するが、初動は1989年あたりだったのだ。何
故かというと出版は朝日新聞のなかでも不採算部門であり、お荷物と見なされていたからだ。1989年に出版にいる同期と話をしたが彼は「子会社になったら
会社を辞める」と公言した。
ただ出版局に経営効率を上げろという圧力がかかったのは事実だ。その結果として朝日ジャーナルの廃刊が後におきる。
1989年に朝日新聞出版局を辞めたのが稲垣武氏である。そして89年に入ってきたのが山口一臣氏である。当時、出版界にいて朝日新聞出版局の事情を知らない訳が無いのだが・・・ よほど朝日ジャーナルに愛着があったのだろう(笑)。
稲垣氏の朝日新聞批判は立派な行為なのだが私個人としては釈然としない部分がある。何故なら早期退職者優遇制度で実質、朝日新聞に養ってもらいながら他方で産経新聞や文藝春秋で朝日新聞批判をしたからだ。
もし私が稲垣氏と話をする機会があったなら「朝日新聞は信用できないが、朝日から生活費を受け取りながら朝日の編集方針を批判するアナタ(稲垣氏のこと)の人間性はもっと信用できない」と言っただろうな・・・・・