池田信夫を批判する
2010.11.25

日本経済「余命3年」という本が民明書房から出るという。

引用

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%
E3%80%8C%E4%BD%99%E5%91%BD3%E5%B9%B4%E3%80%8D-%E7%AB%B9%E4%B8%A
D-%E5%B9%B3%E8%94%B5/dp/456979291X

日本経済「余命3年」 <徹底討論>財政危機をどう乗り越えるか [単行本(ソフトカバー)]
竹中 平蔵 (著), 池田 信夫 (著), 土居 丈朗 (著), 鈴木 亘 (著)

引用終わり

これはノストラダムスの大予言とどう違うのか?

引用

1999年7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。

引用終わり

ま ず両者とも2013年(2010+3=2013)と1999年7月という極めて具体的な日時での「大惨事」を予測している。だが、その時に何がおきるのか はサッパリわからない。アンゴルモアの大王とは誰だ?国家の余命とは何だ?どういう風にでも解釈できる=何ら意味/内容が無いということだ。

ノストラダムスの予言同様に日本経済の余命が後、3年しかないというのもどういう風にでも解釈できる。何故なら、日本経済が死ぬということが具体的に何を指すのか定義されてないからだ。従って2013年にどのような事態になっても著者のかたがたは困らない:

1.日本経済がデフレ不況を克服した場合: オレ達が復活の処方箋を示したから「死」をまぬがれた。感謝しろ

2.変化がない場合: 数年後に延期されただけだ

3.悪化した場合: どうだ、オレ達の言った通りだろう

ハッキリ言って、これは極めて卑怯な詭弁だ。池田信夫氏は詭弁を弄するマキャベリアンだったのか?そういえば小沢一郎をやけに持ち上げていた。いつから新自由主義経済学は詭弁の学問になったのか(笑)。

私 はずっと不思議に思っていたのだが池田氏はNHK出身である。ところがNHKは給与が民間メディアよりずっと低い。従って池田氏はNHK勤務時代に蓄財す ることはできなかったはずだ。それがいつからかアゴラブックスとか多方面に事業を展開するようになった。その原資は一体、何なんだ?

池田氏は経済学者と自らをサイトで規定している。ならeconomyは元々、ギリシャ語の家計のやりくり・節約という単語から派生したことはご存じの筈だ。2013年の日本に家計は存在しないのか?
(日本経済=Japanese economy)

そ してeconomyには原始農業や物々交換も含まれる。物々交換が経済学という学問の対象にあまりならないのは補足できない=徴税の対象にならないからで、物々 交換もれっきとした経済活動だ。ところが2013年に日本経済が死ぬのだから物々交換すらできないほど日本は衰退していることになる。正直、核戦争以外思 いつかない。つまり2013年までに日本を対象とした核戦争をどこかの国がしかけてこない限り、2013年の日本経済は普通に生きていると私は考える。だ が、それは経済学ではなく軍事の問題だ。

「いやいや、日本経済が余命3年というのは修辞的表現である」と弁解するなら書籍に 「この本のタイトルには誇張があります」ときちんと明記すべきだ。何故なら、この本は明らかに一般大衆向け、Max Weberの定義するところの愚 民装置向けの本だからだ。池田氏の活動は第2海援隊とどこが違うのだ?それとも第3海援隊を作ったのか?

池田信夫氏はまた不思議な主張をされている。

引用

http://ikedanobuo.livedoor.biz/

柳 田法相が辞任したと思ったら、今度は仙谷官房長官の「暴力装置」発言で、自民党は辞任を要求するそうだ。それなら「破綻国家においてどうしてテロは起こる のかというと、警察と軍隊という暴力装置を独占していないのであんなことが起こるのだ」と述べた石破政調会長も更迭しなければならないだろう。

もちろん正しいのは、石破氏である。国家が暴力を合法的に独占できないと、テロやヤクザやマフィアのような私的暴力が発生する。本書は、こうした暴力の管理を社会秩序のコアにあるメカニズムだと考え、新しい社会科学のモデルを構築しようとするものだ。

引用終わり

まず池田氏は仙石の発言がなされた状況と石破茂の発言がなされた状況(context)を無視している。コンテキストを無視して「同じ言葉を使ってる、やーい、やーい」という幼稚園児のような批判をしている。

そして、もちろん間違ってるのは石破茂氏である。何かの命題が間違ってることを証明するには、それが成り立たない具体的例を1つ挙げるだけでよい。私はコンゴに行った時の自分の体験を挙げてみる。

こ の頃のコンゴは既に失敗国家(石破氏の言う破綻国家と同じ意味。だが英語ではfailed stateのほうが一般的)だった。そして独裁者モブトゥは軍 隊も警察も掌握していた。街は極めて平和であり、私は夜中の3時に一人で歩き回ったくらいだ。だが財政悪化から軍隊や警察をふくむ公務員に給与はほとんど 払われてなかった。彼らはキンシャサ市民をつかまえてはお金をゆすりとっていた。その為に軍隊も警察も市民から極端に嫌われていた。

つま りコンゴという失敗国家において独裁者モブトゥは軍と警察を掌握していたが、公務員の給与を払わなかったために軍や警察は市民からの強請とワイロに 走った。結果として、モブトゥに対する大きな国民的反感がおきた。そして90年代に入り反乱がカビラによりおこされ質の悪い軍と警察しか持たず国民の反感 を買っていたモブトゥは亡命する(ここでは部族間抗争に由来する事項は省く)。

ここで重要なのはモブトゥが(腐敗した)軍と警察を掌握していた ことがキンシャサ市民やコンゴ国民の反感を生み、結果としてモブトゥ政権が倒れたという事実だ。つまり「暴力装置」を持っていることが国民の大きな反感を 買いカビラの反乱を許しモブトゥは追放された。箇条書きにしてまとめる。

1.失敗国家がテロリストを生むというのは世界において普遍的な現象ではない
(80年代コンゴを見よ)
2.軍や警察が国家運営、特に暴力に対抗する面で役立つかどうかは、その質にかかっている
3.暴力装置という言葉を考えたのが誰であれ、質の悪い軍と警察は逆に国家の命取りになることを考慮してない
4.従って、暴力装置という言葉を使用する人は岩波的な教養をみせびらかして「ボクチャン、賢いんだもんね」と言いたいだけだ

というのが私の主張である。下に失敗国家のリストを挙げる。

http://www.fundforpeace.org/web/index.php?option=com_content&task=view&id=99&Itemid=140

2位にジンバブエ、5位にコンゴが入ってるが、両国はテロリストを生み出しているだろうか?私の知る限り生んでない。