誰が文化を保存しているのか?
2010.12.18

日本にも世界にも多様な文化がある。そうした文化は誰が保存しているのか?まじめな馬鹿であるというのが私の主張だ。例によって自分の体験とプライバシーの切り売りから始める。

1995 年あたりだったと思うが、私はコンゴ音楽ファンとして日本に存在する膨大な情報を英語に翻訳することにした。それは英語に翻訳してばらまけば日本語だけよ り情報が後生に残る確率がはるかに高くなるからだ。正直、ものすごい量の翻訳でテキスト・ファイルで100kバイト近かった。かけた時間は数百時間。当時 は英語の翻訳が全く苦にならなかったとはいえ、我ながらよくやったものだ。

この翻訳ファイルをフロッピーに入れて複数の英国人に郵送し た。当時はコンゴ音楽でのアメリカ人の知り合いはいなかった。そのうちの一人は何回も名前を出しているBBCでDJをしたこともあるマーティン・シノック でありもう一人はビンセント・ラットマン氏である。マーティン・シノックとはずっと情報交換していたのだがビンセント・ラットマン氏は話したことも会った こともない。ただ英国でのコンゴ音楽の権威がこの二人であることは間違いなかった。アフリカ音楽全般研究家ならグレアム・イーウエンスなど他にもいたのだ が。

当然、ラットマン氏からお礼のメールが届いた。驚いたことにラットマン氏の奥さんは日本人だった。大阪にあるコンゴ音楽専門店にわざわざ買い付けにきた時に出会ったという。ヒサノさんという。

これまで、この自分のした行為を全く書かなかった。それは自分の翻訳がコンゴ音楽文化の保存に貢献することは確信していたが、同時にそれは厳密には著作権侵害だと理解していたからだ。

私 はこのコンゴ文化保存行為において何ら見返りを受けていない。純粋に1995年頃の日本にのみ存在した音楽情報が散逸するのを防ぐために無償で行った。音 楽馬鹿といえばそれまでだが、結果として私は「オマエは世界の文化保存にどれだけ貢献したか」と聞かれた場合、「オレは多大な貢献をした」と胸をはって主 張できるようになった。

こういう文化保存行為は島国の人間が好きなようだ。現に私は英国人以外には情報を流していない。もっとも英国経由で世界に配布されることを期待していたのは事実であり、テキスト・ファイルのコピーは極めて簡単だから実際に世界各地で保存されていると考える。

ところで渡邊哲也氏がTwitterで麻生太郎氏の日本語は古い日本語だという説を紹介されていた。何故、そうした国語的な主張が可能なのか不審に思われるかたもいるかも知れないので私の知っている範囲で解説してみたい。

すでに亡くなられたが小泉文夫さんという優れた民族/民俗音楽学者がいた。私はこの人のラジオ番組を聞いて世界の民族音楽の勉強をしたのだが、ある日の小泉さんは先輩達の苦労話を紹介された。

最 初の電磁記録メディアはオープン・リールである。これは無茶苦茶重い。昔、私も持っていたが20キロ近かったと思う。で、オープン・リールが学者にも買え る値段になった頃、日本の国語学者、民俗学者、民俗音楽研究家がオープン・リールをかついで日本全国を周り、その土地の古老達の会話を記録した。従って江 戸時代の日本人はどういう風に喋っていたかは具体的な音声として残っている。

ところで方言は必ずしも、その土地固有のなまりではなく、かつ ての「標準語」がその地域だけに残ったものも多いという。例えば秋田と鹿児島という地理的に離れた2つの地域で同じ方言が使用されていた場合、それはかつ ての「標準語」がその地域に残ったと考えるらしい。従って日本語研究にはそれを裏付ける膨大なデータベースが存在する。それは学者には大きな金銭的負担で しかないオープン・リールを買い、それをかついで日本中の発音を記録して回った「馬鹿」がたくさんいたからだ。つまり私は文化を保存するために無償で働く 人がいるから文化が継承されると考える。

この対極にあるのが大陸アジアである。そこでは過去の文化を破壊することが革命だった。中国での 革命とはA王朝からB王朝に支配権が移ることである。この時に新しく支配者となったB一族はA一族を根絶やしにする。生かしておくと復讐されるからだ。こ れが、元々の意味での革命である。大陸アジアにおいて文化が残らない訳だ。中国にいたってはある意味で自分たちの最大の創造物である漢字を廃止しようとし た時期すらある。その当時、日本においてゲバ棒を振り回していたのが現在の民主党幹部である。

こういう風に考えると何故、中国などが平気で歴史ねつ造をするのか、その理由がよく理解できるではないか?要するに文化を保存することに価値を見いださない人々なのだ。

と ころでアフリカにおいて日本の民俗学者の役割を演じたのはヒュー・トレイシーという英国人(後に南アフリカに帰化)である。彼もまた重いオープン・リール をアフリカ各地に運びこみ貴重なフィールド録音をした。今、我々がアフリカ部族音楽として聞いているものは既に西洋ポップスから大きく影響を受けて おり、昔の形では残っていない。昔の西洋の影響が少ないアフリカ音楽はヒュー・トレイシーの録音物しかない。少なくとも中央アフリカから南アフリカにかけ ての地域ではそうだ。

こ ういう文化保存に熱心というのは良い意味での島国気質(insularism)なのだろう。そこのあなた、胸ポケットのアイポーに数千のmp3を入れて軽 くステップを踏んでるあなた、あなたに20キロ近いオープン・リールを背負って音楽を聴く根性がありますか?ステップが踏めますか?

という訳で若干、自慢話になってしまったがどうやって文化が保存されるのかを私なりに解釈してみた。その答えは善意の「馬鹿」がいるからである。

追記1.

例 えばジャズは1980年代には退屈な年寄りの音楽と欧米では考えられていた。それに対し、新しい視点からジャズを再評価したのが英国のクラブ音楽で ある。ここでの再評価はジェームズ・ブラウン的な16ビートのファンクとジャズの相性が良い点を中心に、ブレークビーツ(LPなどからとられたドラム演奏 ループ素材)の上にジャズ的なアドリブを展開するのがヒップでグルービー(クラブ音楽の用語でいえばマッシブ)であるとされた。

この発想は非常に良かったので今も、このスタイルはDJ音楽として生き残っている。コンゴ音楽ファンとして数点指摘しておきたい。

ファ ンクの起源ははっきりしないがコンゴのle funke(ル・フンケ)という言葉が起源だろうと主張する人たちがいる。主にアメリカ人。ここで注意しなければいけな いのはジャズ発祥の地ニュー・オーリンズは元はフランス領でありハイチから渡ってきたクレオール人がたくさん住んでいた点である。

ジャズ の起源もはっきりしないのだがjazzが昔はjassとも書かれたという部分までははっきりしている。ここでjassはコンゴの言葉jizzamから派生 したと主張する人たちがいる。やはりアメリカ人である。ちなみにjizzamはアメリカの非常に下品なスラングで精液を意味する。発音はジャザンで ある。最初のジャズが売春宿の伴奏音楽だったのは事実であり、実にストレートに関連している。スペイン語などのラテン系言語ではzは濁らずスと発音するこ とが多い点も指摘しておきたい。

こうした主張がどれだけ正しいのかは不明だが、ファンクもジャズも両方、コンゴにルーツを持つ音楽と考えれば両者の相性が良いのは当然だろう。で、私も将来、コンゴ音楽が再評価された時に私が英語に翻訳したものが何らかの参考になることを期待しているのだ。

なおファンクとジャズの起源は厳密には不明である。ここで私が紹介しているのは一部アメリカ人の意見でしかないことをお断りしておく。

追記2.

沖 縄が日本に返還された頃の沖縄県民の会話はまるで理解できなかった。方言が激しかったからだ。最も東北も大差なかったが。私は1989年に沖縄に2週間滞 在したが、すでに会話のほとんどが標準語かそれに近い言語でなされていた。言語というのは時を逃すとあっというまに変わるものだなと当時、思ったものだ。