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ネイティブが正しいとは限らない 2011.01.01
昔、私がブラジル音楽を聴き始めた頃は当然ながら歌詞カードを読んで歌の内容を確認した。その中にO Grande Amor(ウ・グランジ・アモール)というのがあった。
歌詞は
私たちの愛、私たちの偉大な愛
私たちの偉大な愛に一体、何がおきたのかしら
というものだった。これは人類の会話だろうか?自分たちの恋愛を偉大な愛と呼ぶ時点でもはや鳩山主義に陥ってる。つまり正常な人には理解できない。
話
は変わって英語である。ある日、アメリカ人と会話をしている時に「何故ジョンという名前が異様に多いのか」という話題になった。もちろんこれは聖書由来な
のだが、私がこの時に「英語ではJohnを名字にも使う。おかしな習慣だ」と言ったところ、かなり激しい反発にあった。そこで私が「エルトン・ジョンとか
オリビア・ニュートン・ジョンとかいるだろ?」と言ったところ「彼らは芸能人であり、受けるためならどんな奇抜な名前でも付ける」と反論された。その場に
いたアメリカ人みんながJohnが名字になることはありえないと主張したので私はスゴスゴと引き下がった。
ところがである、Johnという英語名字は本当に存在するのだ。
http://surname.sofeminine.co.uk/w/surnames/surname-john.html
上記サイトには分布図がある。Orkneyという英国郡部においては11番目に良く使われる名前だという。このOrkneyという群がどこにあるのかは不明だが(それを言うなら私が生まれ育った阿知須がどこにあるか知ってる人がどれだけいるだろう?)
結
局、間違っていたのはネイティブであり私の主張のほうが正しかったのだ。実際、私は相手がネイティブであろうが大江健三郎であろうが益川敏英であろうが自
分の主張を変えないという極端な部分がある。例えば2002年頃、ブラジル人のほとんどがサンバという音楽に貢献したのはナイジェリアのヨルバ族であると
主張していた時にも「サンバはコンゴ・アンゴラ起源だ。ブラジル人は間違っている」と主張して猛烈な反発と顰蹙を買った。だが、2011年の時点で見ると
間違っていたのはやはりブラジル人だった。
ネイティブの主張はもちろん尊重すべきだ。だがネイティブがこう言ってるというのを丸飲みするのは思考停止だ。現に上に挙げた2つの例ではネイティブのほうが間違っていたのだ。
そこで最初の「私たちの偉大な愛」という歌詞に戻るのだが、これは誤訳だろうと考える。私が翻訳したら
私たち、あんなに激しく燃え上がったのにアナタはずいぶん冷たくなったのね
となる。私が翻訳すると演歌の歌詞のようになるが(笑)、上のように訳したほうがはるかに自然だと私は考える。そう思いませんか?
アナタとネイティブの意見が対立した時に「自分が正しい」と考えるのは90%独善だ。だが10%のネイティブが間違っている可能性を決して排除すべきではないと私は考える。
ただ、こういう考え方をすると日本社会では極めて生きにくいんですよ・・・・
追記
ちなみに私は2002年に2chで以下のように書いています。プロバイダーは今と同じ山口ケーブルビジョンなのでIPIDを使えば簡単に確認できるでしょう。
- 905 名前:竹本 :02/10/19 20:58
ID:cPlKzGHh
- 現在ブラジルで最もサンバを深く理解している打楽器奏者、マルコス・スザーノが「サンバはコンゴから来た」とはっきり主張しているのを
ビデオのライナーノートで発見しました。その他コンゴとブラジルを結びつける証拠がかなり集まってきましたので来週中には私のサイトのコンゴとブラジルの
関連部分を更新する予定です。コンゴ音楽=ルンバという考えの方は興味がないでしょうが。
マーチン・シノックから僕の曲をwww.totallyradio.comで書けるための著作権承認の申請が来ましたので承認しました。近日中には数曲かかると思います
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