意味をなさない名前
2011.02.18

こ こしばらくTwitterを利用したが、やはり自分に合わなかった。1つは長い論理的展開のある文章を書くのが好きという自分の好み、もう1つは不必要に 攻撃的な文章を書きやすくなったこと。という訳で再び、サイトの文章中心に更新することにした。サイトでまとめておけばずっと残る。Twitterで書い ても情報が散逸するだけだ。

引用

元モーニング娘。のメンバー10人で結成された「ドリーム モーニング娘。」。このユニットに 参加予定だった辻希美(23)は、昨年12月26日に第2子となる長男・青空(せいあ)くんを出産、 当面は育児に専念するため参加を取りやめた

引用終わり

ま ず辻希美が読めなかった。調べたらツジ・ノゾミと読むらしい。青空(せいあ)に関してはふりがなが無ければ絶対、読めない。前からずっと思っていたのだ が、こういう名前のつけかたはおかしい。役所が突き返せば良いのだ。ところが日本では人名に使用されている場合、漢字をどう読んでも良いらしい。例えば青 太(あかご)と読ませることも可能なようだ。これは無茶苦茶だ。

大体、名前は何のためにあるのか?最大の目的は本人確認である。そして日 本では苗字の数が非常に多いために苗字+名前でほとんどの場合、本人確認ができた。これは日本語の美点と私は考える。ところが戦後のある時点から役所が人 名に使う漢字の読みの自由化を進めたために今では訳がわからなくなってきた。

例えば、元共同通信記者で評論家の田中宇という人がいる。こ の宇をどう読むのか?そんなものを覚えるだけ無駄だ。何故なら、宇と書いて「なおと」と読ませることも「ゆきお」と読ませることも可能だからだ。そんなも のを覚えるのは時間と頭脳の無駄遣いだ。実際には田中宇と書いてデン・チュウウと読むらしいのだが(?)、そんな名前の読み方を覚えるのは時間の無駄だと 思いませんか?同様に青空(せいあ)を覚えるのも時間の無駄だ。しかし周りの人がこういう名前を持っていたらつきあい上、覚えざるをえない。それは社会効 率の低下だ。もっと大げさに言えば日本民族のアイデンティティーを曖昧にし薄める陰謀だ。

例えば香港人はエリザベス・チャンとか名乗った りする。これは大陸アジアでは数個の苗字で民族の70−80%を占めるという特殊事情があり、名前が本人確認の手段として機能してないためにミドル・ネー ムが必要になるのだ。幾分かは私の偏見かも知れないが、名前の主目的は本人確認であると考えれば、やはり中国や南北朝鮮の名前システムには欠陥があると私 は考える。

対して日本においては名前が本人確認の手段としてちゃんと機能してきた。それが日本の犯罪の少なさにつながっていた。田中宇(たなか・さかい)とか青空(せいあ)という名前を認めては本人確認の手段としての名前が意味をなさなくなる。何故なら読めないからだ。

オマエだって時々、文章で読めない難しい漢字を使ってると言われるかも知れない。確かに浩瀚(こうかん)とか驟雨(しゅうう)とか使っている。だが、こうした表現は教養の問題だ。教養があれば読める。対して宇(さかい)とか青空(せいあ)は覚えない限り絶対、読めない。

何 故、役所はこんな名前を認めるのか?役所が率先して日本社会の秩序を乱す行為を進めてよいのだろうか?それとも名前を認めないと「ええ度胸してるやない か、ワレ。大阪湾に沈めたろか?」と脅されるのだろうか?そういう民主党のような、失礼、ヤクザのような行為にきちんと役所が対処できないのだろうか?

繰り返すが読めない名前が増えれば増えるほど日本人のアイデンティティーは薄められていく。これはもっと広く理解されるべき現象と私は考える。

追記

邑という漢字がある。私が子供の頃は、この字が名前に使われているケースはほとんど無かった。ところが1980年代くらいから高邑とかの苗字を見るようになった。私が調べた範囲では帰化した在日が使用している例が多かった。