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就職差別と日本社会の左傾化 2011.04.01.
大学4年の時、様々な就職活動を行いながら1社も決まらず、最終的に1月中旬に大学の図書館で朝日新聞の「営業社員追加募集」という小さな広告を見つけ、2月の最終日に採用の電話通知をもらったことはすでに書いた。
朝
日に就職した部分は別にして私はほとんど全ての企業に一次面接で落とされたことに大きなショックを受けた。他方で日本経済新聞の最終面接/社長面接で私の
兄の障害を社長以下、全役員に笑われたことにも大きなショックを受けた。ちなみに日経は最終面接まで身上書を要求しなかった。
私は1級の
公務員試験を受けようかと思い、懇意の教員に相談したのだが「民間で落とされるなら官僚はもっとダメだよ」というアドバイスを受けた。ただ別に自棄になっ
た訳では無かった。恐らくそういう事もあるだろうと思い、英語の勉強をしていたからだ。実際、朝日での職が決まらなければ恐らく、どこかの翻訳事務所見習
いくらいになっていただろう。
そういう学生生活最後のある日、下宿の大家さんから呼び出しがかかった。この人は服部さんという初老のおば
さんだった。服部さんは私に言った。「竹本さん、あなたはうぬぼれていませんか?お兄さんが精神病だから就職できないというのはただの言い訳です。私はこ
れまでたくさんの学生さんを世話してきました。中には学生運動で警察の世話になった方もいました。それでもみんな就職していきました」と服部さんは言っ
た。服部さんに限らず、多くの「自分は社会がわかっている」と自認する人々が竹本は根性が腐っている、性格がひねくれている、顔が不細工だ(?)とコメン
トした。
根性が腐っている、性格がひねくれている、顔が不細工というのは事実だし否定する気もなかったが(笑)、では何故、日本経済新聞
だけ最終面接まで行ったのかを説明できないように思えた。そうすると彼らは「キミは偶然を自分の実力と勘違いしている」とさらに激しい批判の言葉を浴びせ
た。
皮肉な事に1980年の学生就職先として1位にランクされており、また当時、従業員1万人以上の企業で最高の給与を支払う企業であっ
た朝日新聞に就職が決まった。ちなみに朝日での採用もすんなり決まった訳ではない。他の人は私より2週間早く採用の電話通知を受け取っていた。2月の最終
日に採用の電話を受け取ったのは私だけだった。
今回の文章は私が受けた就職差別ではなく、何故、世界同時革命を唱える過激派が差別される
ことなく普通に就職できたのかに関する。それを言うなら私立大学が熱心にマルクス経済学を教えていたのも不思議な話だ。早稲田や慶応の人々は、自分たちの
母校が国有化されることを望んでいたのだろうか?
学生運動やマルクス経済学に関しては当時、様々な意見が出された:
1.それは若い時に一度かかるハシカのようなもので歳を取ると直る 2.入社したらOJTで叩き直してやる 3.どこの大学の学生も真面目に勉強してないのだからマルクスもケインズも関係ない 4.社会人として必要なのは組織への忠誠度であり思想ではない 5.みんな多かれ少なかれ学生運動をやってる
こ
うした意見が多かった。で、私が就活をした1979−80年から30年たった今、私は改めて問い直したいのだが、学生運動/左翼/マルクス経済学は本当に
ハシカのように消え去ったんですか?むしろ現実は正反対で当時の学生の頭に刷り込まれ(imprinting)、今も民主党、民主党支持者、民主党に好意
的な経団連など様々な形で生き残っているように思える。
一方で私は左翼・マルクス思想はただの独善であると学生時代から批判し、今も批判している。そして、この間に一度も警察のお世話になったことはない。払うべき税金、年金などは全て払ってきた。
つまり私が見るところ、日本社会は明らかに「就職差別」をする対象を間違えた。大学を卒業する年齢(22歳以上)になって世界同時革命などと言ってる連中は就職において「差別」を受けるべきだったのだ。
逆に私の兄が統合失調症(精神分裂病)だったのは事実だが、私が病気をおこした訳では無い。私が、兄が「病気」だからという理由で就職差別を受けたのは極めて不当だと考える。
つ
まり日本社会は就職において「差別すべき対象」を完璧に間違えた。その結果として現在の悪夢のような民主党と菅直人政権があると私は考える。繰り返すが
22歳は十分に大人だ。大人でありながら「世界同時革命」などと口走る連中を採用した日本企業および公務員組織は明らかに間違った採用基準を使っていたと
私は考える。大体、私有財産を否定する思想に染まった学生を採用する民間企業とか官僚組織とは一体、何なんだ?オマエラは自由主義経済国家である日本のあ
りかたを否定しているのか?
私は大きな疑問を持つのだ。
追記
後
に多くのアメリカ人から「何故、オマエは訴訟をおこさなかったのか?」という質問を受けた。もちろん訴訟も可能だったが、勝訴しても受け取る金額は僅かだ
し、訴訟をおこすことにより「危険人物」として企業や公務員組織からレッテル貼り・ファイリングをされる可能性があった。また、こうした訴訟を支援してや
ろうという弁護士もいなかった。
また、自分の可能性をのばしたい20台を訴訟をおこすことで浪費するより、その時間と金を自分に投資したほうが良いとも考えた。
要するに、日本社会は「ある種の訴訟」をおこす人を極端に嫌う訳です。
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