広告と表現の自由
2011.04.15

も う15年くらい前の話だ。ある日、兄がヒモでくくった数冊の本を出して燃やしてくれと言った。当時は自宅焼却炉があったのだ。その本を見た私は暗然とし た。何故なら全て阿含宗関係のものだったからだ。兄が20台の頃、断食に出ると言って2ヶ月近く連絡不能になった事件を思い出したからだ。今更、タラレバ を言っても仕方ないが、あの断食以来、兄は決定的におかしくなった。

1980年代の朝日新聞広告局においてすでに阿含宗は問題になってい た。掲載するのに適切かという議論があった。私の編集同期などは「広告は何を考えてあんなの入れてるの?」と言った。それはアンタ達の高給を支払うためだ と本音を言いたかった。いずれにせよ、それほど阿含宗が問題あると考えているなら自分たちで記事にするなり本を出すなりすれば良いのだが彼らはそれもしな かった。

阿含宗に限ると話が小さくなる。ここでの本質的な問題は、出版広告においては通常広告では認められないような広告内容でも掲載さ れている点にある。何故、掲載されるかというと「出版の自由」と「表現の自由」が考慮されるために出版広告審査は激甘だったからだ。当時、我々の間で話題 になったのは「馬鹿、ケチ、怠け者は酢を飲まない」という本だった。この書籍広告を載せたのは毎日新聞だけだった。朝日新聞にも載せてくれという申し込み はあった。問答無用ではねつけていた。

つまり1980年代の朝日新聞広告局では既に紙面にのせる広告において、どれだけの「出版の自由」 と「表現の自由」を認めるかについての問題意識があったのだ。それがなし崩しとなったのはバブル崩壊にともなう広告の減少が理由だと私は理解している。要 するに80年代と異なり90年代は広告を選べなくなった。だが広告審査基準はひとつの冊子になって公表されており変更する訳にはいかなかった。結局、ここ で書籍広告の形を取ることで「危ない広告」を受け入れようということになったらしい。

(90年代中期には私は広告業界との縁が完全に切れており正確な説明はできないことをお断りしておく)。

そ こで跳梁跋扈したのが国家破産本である。国家破産本は本の体裁を取っているが、ほとんどの場合、何らかのセミナー告知を含んでいる。私は幸いなことに守る ほどの資産がないので行ったことが無いが、実際にセミナーにいった人の話によると「日本が国家破産するのは確定しているから、資産防衛のために当社が厳選 した英国の社債を買いなさい」と言ってたらしい。2011年の今の時点で見ると、JGBを保有し続けたほうが英国の社債より遙かに安全だったことは説明す るまでもない。

(池田信夫さん、読んでますか?)

他にもアガリクスで癌をサガリクスとか訳のわからない広告がたくさん載った。それらは全て書籍広告だったから可能だった。

確かに「出版の自由」と「表現の自由」は尊重されるべきだ。だが一般読者に、通常広告と書籍広告の違いが理解できるだろうか?広告営業だった私ですら当初、理解できなかったのに。

こ こでの1つの解答は全ての書籍広告に対し「当社は掲載内容を保証するものではありません」という断り書きを入れることだ。要するに広告内容を信じる、信じ ないは全て読者の自己責任であることを明確にするのだ。現実的には、これしか答えはないと考える。いずれにせよ現時点でも多くの人が「無責任な書籍広告」 を見て人生を誤っている、これは厳然たる事実である。

追記1

しかし広告を自己責任とするなら記事を信じるかどうかも自己責 任で良いだろう。なら記事に賞味期限をつけて「福島原発事故、収束か」(賞味期限1週間)という風に表記するべきだろう。いや、いっそのこと消えるインキ を使って1週間たったら記事が全部、消えるようにすれば記者は責任を取らなくて良いし、主婦も天ぷらやフライなどの油あげにおいて重宝する。また学生はメ モ用紙にすることもできる。

だが、ここでの問題は消えるインキは高くつくという点にある。そうだ、それなら最初から記事は印刷せず白紙で 広告と折り込みだけにすれば良いのだ。恐らく読者の90%は違いに気が付かないのではないだろうか?これにより偏向報道もなくなるだろう。新聞業界の未来 は実に明るい(笑)。

追記2

新 聞にどういう広告が掲載可能かは簡単に言えない。何故なら、そこには美学が入ってくるからだ。実際に新聞社の広告掲載基準を読まれたかたはご存知のように 極端に白い/黒い広告は掲載できない。例えば真っ黒な全面広告で真ん中に白抜きで社名とか製品名が入っているものは跳ねられる。ところが白い紙面の真ん中 に社名とかを入れるのはケース・バイ・ケースで判断される。つまり何らかの美学があると判断されれば掲載される。

美学そのものが定義不可能なのだが、さらにややこしい事にオノ・ヨーコが真っ白な紙面の真ん中にラブと入れた広告は掲載されるが私が同じ広告を申し込んでも掲載されないのだ。

ここらあたりは欧米風に割り切って、よほどおかしく無い限り基本、全部掲載することにすれば良いと80年代、私は思っていた。そして今でも思っている。