山口県の生んだ偉大な政治家
2011.04.15

タイトルとは裏腹に、この文章で取り上げるのは死んだ私の祖父である。山口県の生んだ偉大な政治家と言いながら、佐藤・岸を全く取り上げず自分の爺様を取り上げるのだからスゴイ話だが、この人は孫である私が見ても優れた政治家だったのだ。

個人名を出すほどのことでもないので竹本A吉としておこう。祖父は宇部の石炭を関西に運ぶ貨物船の船長をやったり色んな職を手がけたのだが、晩年は町議会で活躍した。祖父がてがけた最大の仕事が岡山霊園である。下のブログに写真がある。

http://blogs.yahoo.co.jp/roady_6/39919939.html
(個人のブログなのであまり露骨にアクセスしないでください)

私 が5−6歳の頃だから、約50年前である。当時、阿知須町の町会議員(議長?)をしていた私の祖父は考えた。町の中に小さな墓地が点在している。これでは 町が発展しないと。プロジェクト自体は恐らくもっと上の国政レベルで決まったのではないかと思うのだが、祖父は上記信念のもと、小さな墓地に墓をおく家を 訪ねてまわり町の中央に移設するように説得して回った。

岡山霊園の何がスゴイかというと町のド真ん中の丘の上にまるでピラミッドのような廟を建てて、ここにロッカー式墓(正確にはマンション形式と言う)を作った点にある。もちろん通常の墓地もある。この祖父の発想がいかに進んでいたか?

1.小さな墓地が点在することが町の開発の妨げであると気が付いた

2.墓地の暗いイメージをなくすために町のド真ん中に派手な霊園を作った

3.東京のような都会でも未だに普及してないロッカー式墓を作った

4.50年以上前にこのプロジェクト実現のために各家庭を周り頭を下げた

5.部落や在日との利権調整をした(この部分は推測)

こ れを1960年代に吉敷郡阿知須町というド田舎でやったのだ。都市計画の面から見ても経済学的に見ても素晴らしい発想だった。厳格に祖父の発想だったのか は不明だが現場の指揮をしたのは確かに祖父だった。こうした都市計画での割り切り思想は孫である私にも引き継がれており、成田闘争の頃などフランスのよう に公示地価の1.5倍で強制接収する法律を作るべきと考えていた。そして今でも考えている。

では何故、私の祖父は岸・佐藤とならぶ山口県 の生んだ偉大な政治家として認識されてないかというと事業に失敗し家財を全て差し押さえられ、政治家としてやっていく資財を失ったからだ。正直なところ孫 である私も祖父の存在を忘れていたくらいだ(笑)。元々、貨物船の船長なのでたいした政治家にはならなかったと思うが、祖父の都市計画における先見の明は 孫の私が見てもひいきなしに素晴らしいと思う。

この岡山墓地に祖父も眠っているのだが、中を歩くと普通に朝鮮名の墓もある。また墓地移転の関係上、部落との交渉もさけられなかったはずだ。そうした汚れ役を前線で指揮し一手に引き受けたのが祖父だった。

(私の住んでいる地域では居住区という意味で部落を使う。だが部落解放同盟的な意味での部落もやはり部落と言う。両者は文脈でしか区別されてない)

同 時に、祖父の例は日本の政治に関する教訓を示唆している。それは何かというと資財のない政治家は無職同然であるという現実だ。事業に失敗した時に町の予算 を使い込んで「竹本ガンバレという思いをいただいた」と言うだけの鉄面皮があれば良かったのだが。なお、これは別に民主党鳩山由紀夫さんにあてつけた皮肉 ではないので関係者のかた、気にしないでください。

残念ながら日本において資産の無い善人は基本的に政治家に向かないようだ。


追記

今でも町内を歩いていると「そうそう、ここは昔は墓地で夜になると怖かった」と思い出す地域がある。今では住宅地や公園になっている。それは恐らく私の祖父の仕事である。